聖霊降臨節第5主日礼拝説教

2021年6月20日

コリントの信徒への手紙Ⅱ 8:1-15

「最良のささげもの」

 「食べる」ということは、人間に限らず全ての生き物にとって、あらゆる活動の基本となる行為です。食べられなければ命を保つことすらできないからです。あらゆることは食べることから始まると言っても良いほどの重要さを持っています。

「飢え」や「飢えへの恐れ」は私たちの心を不安定にさせます。時には私たちの心から優しさすら奪ってしまいます。その逆に、安心して食べられれば、私たちの心には余裕が生まれます。

「食べることの安心」は単に、食べ物が豊富にあるというだけでは実現することが出来ません。もしも私たちの囲む食卓がギスギスした雰囲気であったり、孤独を感じさせる場であったりしたならばどうでしょう。確かに食べ物は私たちの胃の腑を満たしはするでしょうが、心まで満たすことはできません。

心も身体も豊かにされるためには、安心して食べられる場所が大切になってくるのです。

私たちの教会はエルサレムから始まりました。ペンテコステの日、主の霊が弟子たちに注がれた、あの出来事から教会は始まりました。あの日まで、弟子たちはユダヤの人々に囚われることを恐れて隠れていましたが、あの日を境に福音を宣べ伝えるようになったのです。

しかし、それは弟子たちに危険が無くなったという意味ではありませんでした。ユダヤの人々の多くは相変わらず弟子たちを「処刑されたナザレのイエスが作った分派」としてしか見ておらず、胡散臭いものを見る目で見ていたからです。弟子たちが主イエスの教えを語る声が大きくなるにつれて、エルサレムの人々の不安感は増し、ついには弟子たちを迫害するようになります。これにより、弟子たちの一部はエルサレムに留まることができなくなりました。

この弟子たちはユダヤを脱出すると北上し、アンティオキアの町に至ります。そして今度はアンティオキアで主イエスの教えてくださった福音を語り始めます。アンティオキアには外国人も多くいましたので、ここで外国人、つまり異邦人への伝道が開始されるようになりました。このアンティオキアの町で初めてイエスさまの弟子たちは「クリスチアノイ」つまり「キリスト者たち」と呼ばれるようになりました。後にパウロは異邦人への伝道を積極的に行うため、3回の伝道旅行に出掛けて行きますが、そのいずれにおいてもこのアンティオキアから出発しています。

今日読まれた聖書の御言葉にはマケドニアという地名が出てきますが、パウロがマケドニアを訪れたのは第2回の宣教旅行の時でした。マケドニアでパウロが訪れたのは、フィリピやテサロニケ、ベレアなどでしたが、いずれの町でもイエスさまを信じる人たちを得るのと同時に、反対者によって投獄されたりもしました。

キリスト者は、どこに居ても迫害される立場であって、安心できる場所が無かったのです。

危険の度合いは土地によって違いましたが、エルサレムの教会は困窮していました。パウロからエルサレムの様子を知らされたマケドニアの諸教会は、それぞれに出来る限りの支援をしようと決意し、献金を行いました。

マケドニアの諸教会は決して豊かであったわけではありません。彼ら自身が迫害の恐怖と常に隣り合わせに置かれていました。しかもこの時、彼らを迫害するのはユダヤ人たちでした。

その上、当時のエルサレムの教会、つまりユダヤ人キリスト者たちは、異邦人キリスト者に対して完全に友好的であったとは言えませんでした。ユダヤ人たちは「自分たちこそ神さまに選ばれた民族である」という選民意識を持っていましたが、どうしてもそれを捨て去ることができなかったのです。「自分たちと同じように律法を守らなければ救いにはあずかれない」と考え、異邦人キリスト者たちに対して割礼を受ける事や食物規定を守る事などを求めていたのです。

ですから、ギリシャ人のキリスト者たちがユダヤ人に対して悪い感情を持ったとしても不思議ではありませんでした。困窮しているエルサレムの教会を異邦人であるキリスト者たちが見捨てたとしても、文句を言う事がユダヤ人キリスト者たちには出来なかったはずなのです。しかし、彼らはエルサレムの教会を助けるという決意をしました。その事をパウロは喜び、コリントの人々への手紙に書いて送ったのです。

伝道の業というのは、荒れ野を開墾する作業に似ています。これは私だけが持っているイメージではありません。新しく教会を建てることを「開拓伝道」と言いますが、代々の教会にとって、それまで行ったことの無い土地に行って主の教えを告げ知らせることは荒れ野を耕して種を植えるという、開拓事業だったわけです。

その土地は神さまによって示された土地でした。土地を切り開き、ゴロゴロ転がっている石を取り除け、切り倒した木の根を抜いて畑を作り、土を耕して種を蒔きます。最初の実りが得られるまでは、持って来ている食べ物を食つなぐ他ありません。もちろん狩りをすることもできるでしょうが、できればその時間を開墾の作業に充てる必要があります。

手持ちの食料は少しずつ減っていきます。この不安に開拓者は耐えるのです。だからこそ、実りが得られた時の喜びはとても大きいのです。

開拓者たちは初めての実りをどうするでしょうか。すぐにでも食べたいでしょうが、彼らはそうはしません。まず神さまに捧げました。感謝のしるしとして、収穫された物のうち、最も良いものを神さまに捧げました。それから、皆で分け合って食べ、喜びを分かち合ったのです。しかもその恵みは、開拓者たちだけで喜ぶのではなく、その土地を訪れている外国人たちとも分かち合われたのです。申命記26章はその喜びを教えています。

「この喜びに曇りが生じないようにしなさい」とイエスさまは教えられました。

秦野教会では主日の礼拝で聖書の御言葉を2つ読むことになっていますが、聖書日課では、旧約聖書から詩編と詩編以外のどこか、新約聖書からは福音書と使徒書の、合わせて4つの御言葉が指定されています。そのうちの詩編は交読に用いています。旧約聖書は必ず読まれていますが、新約聖書は教会の暦によって読まれる箇所を変えています。聖霊降臨節の間は使徒書を、それ以外の季節には福音書が読まれています。ですから、今日は読まれていませんが、今日も日課ではマタイによる福音書が指示されています。その中に、こんな御言葉があります。

マタイによる福音書5:23-24
「だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。」

ここでは兄弟喧嘩のことが例として挙げられていますが、「何かしら引っ掛かることがあったら純粋に恵みを心から喜ぶことができなくなってしまうだろう。美味しくないだろう。だから、感謝の食事の前にその心残りを解消しておきなさい。和解をし、愛を確かめあって、一緒に恵みに与りなさい。」と主は言われるのです。

開拓者同士で恵みを喜ぶのと同時に、寄留者とも恵みを喜びなさい。家族とも、家族以外の人々とも恵みを喜びなさいと神さまはおっしゃるのです。そのために、隔てとなりそうな心残りに思い当たるならば、それを無くせと神さまは教えられたのです。

私たちにとって家族とは誰でしょうか。私たちにとって寄留者とは誰でしょうか。

私たち秦野教会が最初に耕した畑は子どもたちでした。今は法人としては別々になり、秦野教会が直接に運営に関わることはありませんが、しかし他人になったわけではありません。私たちにとっては大切な子どもなのです。巣立って行った子どもなのです。私たちにとっては家族なのです。

子どもが育ったら私たちに与えられた働きは終わりなのか。そうではありません。我が子はいつまでも我が子なのです。

そして、この秦野の土地には、未だ開墾されていない土地があります。「満たされない人々」「飢えている人々」が、私たちの目には見えにくい所にまだまだたくさん居るのです。

私たちの開拓は完了したわけではありません。まだまだ耕す余地はあるのです。採れた麦を全部食べるのではなく、種として植えることが必要なのです。

今の私たちに必要なのは、狩り入れることよりも、植えること、与えることへの意識です。子どもに与えよう、寄留者に与えようという意識です。

イエスさまは私たちに全てを与えて下さいました。ご自身の命すら惜しまず与えて下さいました。本来であれば、神さまの右に座して、ただただ栄光だけをお受けになるべきお方が、この地へと下り、苦しみを受けて私たちに命を与えて下さいました。

これほどまでに大きなものを与えて頂いたのに、私たちが物惜しみを出来るでしょうか。私たちに足りない物があるでしょうか。

今の私たちにとっては与えること、私たちが神さまから頂いた恵みを分け合うことこそが喜びとなるのです。

この喜びを、秦野の地にあって、より多くの人々と分かち合えることを夢見て、この夢の実現を目指して今日も歩みましょう。

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