聖霊降臨節第3主日礼拝説教

2021年6月6日

使徒言行録 17:22-34

「笑われたとしても」

 パウロは2回目の伝道旅行の終盤にアテネの町にやって来ました。アテネは古代ギリシャに散在した都市国家の中でも極めて重要な役割を果たした町で、かつてはギリシャの盟主として経済的にも外交的にも、文化的にも大きな力を持った町でした。

パウロはアテネの町に入ると、町の至る所に偶像があるのを見て憤慨します。アテネには様々な国から人が集っていました。ユダヤ人たちも集会所を作り、自分たちの信仰を守っていました。ストア派と呼ばれる人々は、あらゆる物の内に神が存在していると考えていました。またアテネに移り住んだ外国の人々も自分たちの奉ずる神々の像を持ち込むなどしていて、アテネの町にはそれらの像が多くありました。特にパルテノン神殿には、近隣の国から多くの像が奉納されていました。おそらくパウロはこれらの神々の像を見たのでしょう。

パウロはユダヤ人の集会所ではユダヤ人たちと論じ、また広場ではアテネのギリシャ人たちと論じ合いました。

アテネの住人には明確な身分の違いがありました。大まかに分けると3つの階級がありました。政治的な権利を持つ市民とその家族が8万人ほどおり、それら市民に所有される奴隷が6万人居りました。市民は労働しません。彼らは自分の所有する奴隷を働かせ、その稼ぎによって生活をしていました。その他に3千から4千人ほどのメトイコイと呼ばれる人々が居ました。このメトイコイとは「共に住む者」という意味で、外国人や解放された奴隷が属する身分でした。

この時、広場でパウロと議論した人たちは、これらの中の市民階級に属する人々です。彼らは働く必要がありませんでしたので、日がな一日広場に集まっては、思想的な事について論じあっていました。その中には哲学者たちも幾人か居り、パウロの話に好奇心を刺激され、パウロをより多くの人が集まる場所、アレオパゴスに連れて行きました。

アレオパゴスとは、アテネにおいて町の長老たちが議会や裁判を開く際に用いた場所で、地形的には小高い丘となっている場所です。パウロは人々の中心に立つと、聴衆に語り掛け始めました。

パウロはまず、アテネの人々の信仰心が篤い事を褒める言葉から始めます。その上で、好奇心を刺激します。アテネの人々には旺盛な好奇心と知識欲がありました。考えてみれば当然のことでしょう。労働をしない彼らには、知的欲求を満たす以外にすべきことが無いのですから、目新しい何かがあれば飛びつくのです。

あなたたちは自分たちにはまだ知らないことがあるということを知っている。実はあなた方がまだ知らない神が居られるのだ。私はその事についてお話しをしよう。こう切り出したわけです。

ギリシャ神話を見ますと、ギリシャの神々は私たちの神と性質を大きく異にしています。

私たちは世界が創造されるよりも前に神が存在し、神が天と地を創造されたと信じています。その時、地は混沌でした。ギリシャの神話の中では、最初に混沌が存在し、その中にガイアという大地の母である女神が生まれ、この女神から神々が生まれたとされています。私たちの信じる神さまが万物の創造者であるのに対し、ギリシャの神々は根本的なところで被造物なのです。

ギリシャの人々は、自分たちを取り巻く様々な物や出来事の中に、別々の神々を見出しました。神々の中のあるものは海を司り、あるものは戦いを司るという風に、それぞれが何かを司っています。そして、人々はその神が司っている物事に沿った姿形で神々の絵を描いたり像を彫ったりしていました。

これに対してパウロがこれから伝えようとしている神は、全てを創られた神なので、人間が手で造り出したり、頭の中で考えた概念の中に押し込めたりすることはできません。人間がその必要のために神に何かを加えたり、あるいは取り上げたりすることもできません。それは、人間が神のために姿を与えることも出来ないということを意味しています。

パウロが言いたいのは、「人間が自分の創ったイメージの中に神を押し込むことはできない、神さまは人間の想像力を超えた方なのだ」と言う事なのです。

ここまでパウロは、私たちの信仰の土台について語ってきました。そして、「私たちの想像力を超えた大きな愛を持って私たちに救いを与えて下さった。それこそ御子の御復活なのだ。」と、核心の部分に入ろうとしたところで、聞いていた人たちは途端に興味を失ってしまいました。

集まっていた人々のほとんどが「死者の復活」という言葉を聞くと、荒唐無稽な事だと思ってそれ以上聞く気を失って立ち去ってしまいました。

パウロの弁論は結果だけを見ると、失敗でした。では、それは無意味なことだったのか、パウロの弁論には全く意味が無かったのかというと、そうではありません。ほんの数人かもしれませんが、パウロの後について行って、信仰に入った人たちも居ました。それでもやはり、失敗だったと言わざるを得ません。何故失敗したのでしょうか。

そもそも、この時アレオパゴスに集まっていた人々は興味本位で、暇つぶしがてらパウロの話を聞いていただけで、救いを求めて聞いていたわけではなかったということが、失敗の原因でしょう。彼らにとってパウロとの討論は知的遊戯だったのです。もちろん、救いを必要としない人間はいません。だからこそ、少数ではあっても信仰の道に入った人々が居ました。パウロを嘲った人々も、何かしらの苦しみを持って生きていただろうということは間違い無いはずです。しかし、パウロの言葉は彼らの心に響きませんでした。パウロの言葉が論理に偏ったことで感動を伝える力が小さくなってしまったのではないかと考えます。

パウロは、哲学の土台を持つアテネの市民に対して、知的なアプローチによって救いを語ろうとしました。この日、アレオパゴスに集まっていたアテネの人々は知的に洗練された人々だったでしょう。ギリシャの文化圏で育ち、ガマリエルという高名な律法学者のもとで神学を学んだ経験を持つパウロは、アテネの人々と同じように、洗練された論理で語り掛けました。相手に合わせた伝道の方法を選ぶということは正しいとは思うのですが、必要なのは洗練ではなかったのです。

粗削りでも良いから、もっとストレートにイエスさまと出会った時の感動を語っていれば、あるいは違った結果になったのではないかと想像します。

2014年、クリスティアーノ・ロナウドというサッカー選手が美容機器メーカーのイベントに招かれて来日しました。このイベントの中で、一人の少年がポルトガル語で質問をしました。「どのようにすればあなたと一緒にプレイできるようになりますか。」

少年はとても緊張した様子で、メモを見ながら、棒読みで、つっかえつっかえ質問していました。この様子に会場のからは笑いが漏れましたが、ロナウド選手は「どうしてクスクス笑ってるんだい? 少年のポルトガル語は立派だよ、とっても!  素直に喜べばいいじゃないか、少年が果敢に挑戦してくれてるのをさ。そうだろ?」と、笑う人々をたしなめました。

自分のために、自分の国の言葉を調べて学び、質問をする少年の気持ちに、まず喜びがあったのでしょう。だから、その少年を笑う人々をたしなめたのだろうと想像します。

言葉は拙くても良い。私たちは主と共に在る喜びを語ります。聞く人は笑うかもしれません。それでも主は私たちの言葉を聞いて下さいます。私たちが語ろうと挑戦することを喜んで下さいます。

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