聖霊降臨節第7主日礼拝説教

2021年7月4日

テモテへの手紙Ⅰ 2:1-8

「執り成すために」

 私は神戸で生まれました。通っていた幼稚園が近所のルーテル教会附属の幼稚園であったため、自然と教会に通うようになりました。当時の礼拝堂は建て替えと移転のために既に残っていませんが、教会の誰か大人の方が、「この礼拝堂はノアの箱舟の形をしているんだ」と教えてくれたことが記憶に残っています。

この世にあって、教会は常に荒波の渦巻く海に浮かぶ船だったのかもしれません。大きな波が甲板を洗うと、そこに居る人が簡単に攫われて行ってしまう。それどころか舵取りを間違えると船自体が転覆してしまう。教会はいつの時代にあっても、そのような危険と常に隣り合わせだったのです。

初代教会の時代も同じでした。当時の教会は異教徒の文化という海に浮かんでいました。全く価値観の違う人たちの間にあって信仰を保つということは決して容易なことではありませんでした。社会は教会に対しても自分たちと同じように振舞うよう、圧力をかけていたからです。

当時、地中海世界を支配していたのはローマ帝国でした。ローマ皇帝はいくつかの称号を持っていましたが、その中に最高神祇官という職務上の地位が含まれていました。この職名は神々に仕える神官たちの長のことです。またローマ皇帝が死ぬと次の皇帝は先代の権威にあやかるために先代を神格化しました。このことが切っ掛けとなり、生きている皇帝が崇拝の対象となりました。

ローマは多神教の国でしたが比較的寛容な宗教政策をとっていましたので、それが古典的な宗教であれば、征服地の住人が固有の宗教を信じることを許していました。ユダヤの人々も祖先から伝わる信仰を保つことが許されていました。ユダヤの人々が信じていたのは唯一の神ですから、皇帝を崇拝することはできません。そこでローマは特例的にユダヤの人々には皇帝崇拝を免除していました。

私たちキリスト者も唯一の神を信じる人々です。初代教会の時代には当初、キリスト者はユダヤ教の分派であると考えられていたので同じローマの寛容さに与ることが出来ていましたが、後に「キリスト教はユダヤ教とは別の宗教である」「ユダヤ教のような古典的な宗教ではなく、新宗教である」と認識されると、寛容さを受けられる条件を満たさなくなってしまったために皇帝崇拝の拒否は処罰の対象となりました。これが迫害を引き起こした原因の一つとなりました。

パウロの時代には、ローマによる迫害はまださほど激しくはありませんでしたが、きな臭い雰囲気は既にあったはずです。それでもパウロはテモテに対して「王たちやすべての高官のためにも祈りを捧げよ」と指示しています。これは個人的な指示ではありませんでした。何故ならば、テモテは小アジアの諸教会において、パウロの代理として責任ある指導的地位についていたからです。

テモテの負っていた責任がどれほどの物であったのかを、同じテモテへの手紙の5章に見ることが出来ます。パウロは5:22において「性急にだれにでも手を置いてはなりません。」と警告をしていますが、これは「牧者を任命する時には、その人物を良く見極めるように。」という意味です。私たちの言葉に直すならば、牧師の任命権をテモテが持っていたということを意味しています。

そのテモテに対して「皇帝を含めた全ての人のために祈りを捧げなさい」と指示しているのですから、事実上それはテモテが監督している諸々の教会への指示となります。また、「王たち」とあるように、複数形で述べているのですから、特定の皇帝、今の皇帝の事だけを指しているわけではなく、全ての皇帝のために祈れという意味です。

後にキリスト教はローマ帝国の国教となりますが、それまでキリスト教会は政治的イデオロギーや国家の置かれた情勢に対して影響力を振るう立場にありませんでしたし、それを求めることもしませんでした。国家と結び付き、政策に口を出すようになった瞬間に教会の堕落が始まりました。もしかすると順序が逆かもしれません。教会が力を蓄え、大きな影響力を持つようになった時に、皇帝が教会に近付き、利用しようとした。教会はそれに乗っかってしまったという構図の方が状況を正確に言い表しているのかもしれません。しかし、権力と教会が結び付いたことによって堕落が始まったということに間違いはありません。

パウロが進めているのは、「皇帝のために祈ることによって権力に接近せよ」とか「『皇帝を拝むことはできないけれど、皇帝のために祈ることはできますよ』という姿勢を見せることによって直接的な非難や迫害を避けよ」ということではありません。自分たちに危害を加える可能性のある人々のためにも祈りなさいということです。全ての人のために祈りなさいということです。

イエスさまが血を流してくださったのは、特定の誰かのためにではなく、全ての人の救いのためだったからです。イエスさまは、正しい人のために死なれたのではありません。何等かの知識を持つ人のために死なれたのではありません。全ての人のため、とりわけ罪びとに赦しを与えるために十字架の上で死なれたのです。

イエスさまには何の罪もありませんでした。最初から最後まで、神さまに従順で、ただひたすらに神さまの御心を行うことをご自分の望みとされ、その通りになさいました。イエスさまが罪の無い方だったからこそ、罪の無いイエスさまが血を流してくださったからこそ、私たちはイエスさまに「神さまとの間に執り成しをする仲保者として、私たちが神さまに赦しを希う時、私たちと共に祈ってください。あなたの御名によって祈らせてください。」と願うことができるのです。

この祈りを捧げる時、神さまに包み隠すことの出来ることは何一つとしてありません。もちろん私たちが隠そうとしても神さまは全てをご存知です。

しかし私たちは仮初にも何かを隠そうとすべきではありません。

皆さんは祈りを捧げる時、手をどのようにしますか。子どもたちに祈りを教える時には、手を組むように教えます。私も小さい頃にそう教わったはずです。あまりにも小さな頃のことですし、ずっと当たり前に手を組んでいたので特に意識をしていませんでしたが、この「手を組む」ということにも意味があります。それは「今、私は祈ること以外のことをしません、手の仕事に心を用いず、ただ祈る事にのみ心を用います」という意味です。

古代の人々は祈る時、手を挙げて、手のひらを上に向けて祈っていたそうです。今もそのようにして祈る人が稀に見られるようです。似た形として、手を前に差し出して手のひらを上に向けて祈ることがあります。これは手を挙げる形よりかは比較的多く見る事の出来る形です。この形の意味は「私は手の中に何も握っていません。何も隠していません。」という意味です。「心の中を全てあなたに聴いていただきます。」という意味です。

礼拝が始まると私たちは罪の告白をします。この時、私たちは神さまに全てを聞いていただきます。それから私たちは赦しの言葉を聞きます。私はこの罪の告白と赦しを重要視しています。誰かに「神さまは赦してくださった」ということを宣言してもらうことによる安心感は大きな意味を持つと考えるからです。秦野教会で赦しの言葉として用いている「コリントの信徒への手紙」の御言葉は、教会が赦しを与える根拠となります。

赦しは牧師が与えるのではありません。共同体の祈りとして罪が告白され、その祈りを互いの祈りを聞き合うことによって、私たちも互いに赦し合う。罪の告白は互いのために執り成しを求めて祈る場でもあり、共に祈ることが私たちを和解へと導くのです。そして、心を合わせて御子イエス・キリストのゆえに罪を赦されることを希う。その姿をイエスさまは喜ばれるのです。みんなが和解して、一緒に謙って祈ることを神さまが喜ばれるのです。そして、十字架の血の故に私たちを赦してくださるのです。

いつも教会は波に揺られています。船に乗っている者が仲違いをしていたのでは、船は真っ直ぐに進みません。座礁すればひっくり返って沈んでしまいます。例えどんなに優れた船長が舵を執っていたとしても、船は危うくなってしまいます。船長は全員の安全が確保されてからでなければ自分の安全のための行動を起こせません。私たちの船長は既に私たちのために全てを投げ打ってくださいました。この上私たちが船を危うくすることが出来るでしょうか。

だからこそ、私たちは違う考えを持つ人々をも受け容れ、私たちと対極にある人々や私たちに害を加える人たちのためにも祈るのです。全ての人のために祈るのです。

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