2021年8月1日
使徒言行録 9:26-31
「前進する御言葉」
サウロはエルサレムに来ました。この後、パウロと呼ばれ、ユダヤ人ではない人々への伝道に極めて大きな役割を果たし、また新約聖書に収められている書物の多くを執筆することになるサウロですが、この時の彼はエルサレムに住むキリストの弟子たちにとっては危険な人物でした。
それもそのはずです。サウロは熱心なユダヤ教徒としてキリストの弟子たちを迫害する側の人間でした。特にステファノが殺害された時にはこれに賛成し、その後には「意気込んで」と記されるほど熱心にキリストの弟子たちを脅迫し、殺そうとしていたほどの人物です。
そういう人物がある日、突然弟子たちの仲間に加わろうとして群れにやって来たのです。弟子たちが彼を疑ったのは、当然すぎるほどに当然でした。
誰からも信じてもらえない中、バルナバはサウロを信じました。バルナバはレビ族出身で本名をヨセフと言います。バルナバという呼び名は使徒たちに付けられたあだ名で、「慰めの子」という意味です。このあだ名から、彼がどのような人であったのか何となく想像できるのではないでしょうか。
使徒たちからあだ名を付けられていたと言う事は、バルナバが弟子たちの中でも特に使徒たちと近しい関係にあったと言う事が分かります。彼はサウロを連れて使徒たちの所に行き、これまでキリストの弟子たちの群れを迫害していたサウロがどのような経緯でキリストを信じる者となったのか、また信じた後にはどのようにしてイエスさまの教えを語ったのか、その様子を使徒たちに説明しました。
バルナバはサウロを信じたのです。バルナバは人を受け容れる人物でした。後には人を受け容れる姿勢の違いが原因となってパウロと意見が衝突し、袂を分かつことになるのですが、この時にはバルナバはサウロを受け容れ、信じました。確かに過去には私たちを迫害していたが、イエスさまに直接に語り掛けられ、自分が何をしたのかを知りました。
自分のしていたことがどのようなことであったのかを思い知ったサウロは、深く悔い改め、ダマスコの町では力強くイエスさまの事を宣べ伝えました。バルナバがどのような言葉で使徒たちに語ったのかは記録されていませんが、その大意は「過去の事にばかり目を向けるのではなく、悔い改めた今の彼を見てください。今の彼を信じましょう。」ということだっただろうことは想像に難くありません。正に「慰めの子」というあだ名に相応しく、悔い改めに至るまでのサウロの苦しみを理解し、その苦しみの故にサウロを赦して受け容れようと呼びかけたのです。
キリストの教会にサウロ、後のパウロが与えられました。それは、自らを迫害し、石を投げつける人々について「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」と祈ったステファノの祈りの故であり、目が見えなくなった時に駆け付けたアナニヤの赦しの心の故であり、また率先して彼を受け容れたバルナバの寛容な心の故に与えられた恵みでした。
使徒たちはバルナバの意見を良しとし、サウロを群れに迎え入れました。「サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し」とありますが、この言葉には三つの意味があると考えられます。一つには、サウロと使徒たちとの間に深い信頼関係が築かれ、教会の大切な役割を担うこととなったということです。サウロにはガマリエルから神学を学んだという経歴がありますので、その部分で教会の力となったのかもしれません。
もう一つには、使徒たちがサウロを受け容れている様子を、他の弟子たちに積極的に見せる必要があったのではないでしょうか。理屈ではサウロを受け容れることが正しいと分かっていても、人の心はそう簡単には変わりません。心情の部分で、サウロへの恐れがぬぐい切れず、付き合いを避けるような傾向が多くの弟子たちにあったのではないかと思われます。
そして三つ目の理由は、サウロに向けられる敵意から彼を守る必要があったと言う事です。
サウロはギリシャ語を話すユダヤ人たちと語ったと記されていますが、このギリシャ語を話すユダヤ人、ディアスポラたちこそサウロに深い恨みを抱いている人たちです。かつてサウロが石打に賛成したステファノはギリシャ語を話すユダヤ人、ディアスポラのユダヤ人の一人でした。またサウロがキリストの弟子たちを見付け出し、迫害していたのはダマスコの教会を始めとしたギリシャ語圏内の諸教会でした。ディアスポラたちにとってサウロは、自分たちの仲間を苦しめ、殺していた人物なのです。
エルサレムに来てサウロは彼らと議論をしました。自分が迫害していた人たちとの対話は、サウロにとっては自分の過去の過ちとの対決でもあったことでしょう。彼は過去の自分と向き合ったのです。
もっとも、サウロと対話するディアスポラたちにとっては「何を今更しゃあしゃあと」と言いたくなるほどに苦々しいことだったのでしょう。彼らはサウロを殺そうと狙っていました。その殺意からサウロを守る必要があったので、使徒たちはサウロを目の届く範囲に置いていたのでしょう。
「仲間を殺されたから殺す」という発想がキリスト者に有ったという事実は、今の私たちにとっては信じがたく、また受け容れがたいことですが、事実として聖書は記しています。それは「古代だから起きたこと」という訳ではありません。今の私たちにも同じような発想が生まれることがあります。
ボンヘッファーという神学者をご存知でしょうか。1906年に生まれたボンヘッファーは、第二次世界大戦後の神学に大きな影響を与えた人物でしたが、1945年にナチスによって処刑されています。ヒトラー暗殺計画に関与していたことが、その理由です。
彼はヒトラーを止めるには、最早ヒトラーを殺す以外には無いと結論付けたのです。
実は神学校でヒトラー暗殺計画の是非について議論になりました。意見が割れるのではないかと思っていたのですが、私にとっては驚くべきことに、私以外の全員がボンヘッファーを支持しました。つまりヒトラー暗殺を正しいことだと考えたのです。その理由は、ヒトラーによって殺された人々の多さを考えると、これ以上犠牲者を出さないようにするためには暗殺も已む無しというものでした。
これは私には理解し難い理屈でした。どのような理由を付けた所で、この理屈の行きつく所は「キリスト者が殺人を肯定する」という、ただ一点に集約されるからです。それも、法による裁きすら経ずに殺すことが正しいと、その場の人々は主張していると言う事に、実は恐怖すら覚えました。
その議論は結論を出すことなく終わりましたが、このことは現代の、それも牧師を目指して神学を学ぶ人々の中にすら、状況によっては殺人を肯定するという考え方が生まれる事があるということを明らかにしています。
サウロは殺意の中に置かれていました。どれほど対話をしようと、どれほど後悔していると言っても消すことの出来ない恨みがディアスポラたちの心にあったのです。
これを放置しておくことは、サウロの命が失われてしまうだけでなく、殺人の罪を犯す者を生み出すことになってしまうと考えた人々は、サウロを連れて一旦カイサリアに避難し、生まれ故郷のタルソスに逃がしました。
もしこの時、サウロが逃がされていなかったとしたら、私たちは新約聖書の大部分を読むことができませんでした。それどころか、教会そのものが無かったかもしれません。内輪で殺し合う群れが人の心をつかむことなどあり得ないからです。
31節では、この一連の物語の締めが語られていますが、あまりにも唐突と言いますかチグハグな締め方をしています。物凄く単純化しますと、「こうして教会は発展しました。」という言葉ですが、殺人事件が起きそうになっていたという、途轍もない緊張状態に対して根本的な解決が図られないまま物語が終わってしまったのに、「めでたしめでたし」とでも言わんばかりの終わり方に、私は違和感を覚えます。
それでも、やはりこの物語は「こうして教会は発展しました。」と締めくくられるべきなのです。
この物語が描き出しているのは、後に教会を大きく発展させることになるサウロ、つまりパウロが、ステファノの祈り、アナニヤの赦し、バルナバの寛容さによって教会に受け容れられたということです。祈りと赦しと寛容さが教会を発展させるのだと私たちに教えているのです。
しかも、それだけではなく、「受け容れるということはとても大きな困難、下手をすると教会を壊しかねないほど大きな揺れを伴う、教会の信仰を根本から問い直さなければならないほどの決断をしなければならないこともあり得る。」ということを私たちに見せています。
人は感情の動物です。そして、感情の大部分は他者には見えない所に隠されています。それが人間だからです。しかし負の感情では何かを育てたり発展させたりすることはできません。一時的に大きくなったとしても、長続きはしません。祈りと赦しと寛容さが私たちを成長させるのです。
私たちの来し方を眺めた時、まだ赦せていないことが何かしらあると思います。私にもあります。消化しきれず、受け容れられていない感情があります。赦せない人が居ます。赦すことは難しいことです。でも、怒りや恨みに新しく燃料を投下するのはやめましょう。今は赦せなくても、いつか赦せるようにしてくださいと祈りましょう。
教会の中でだって、色んなことが起こります。私はまだそういう事を全然知りません。これから長く居させてもらっても、そもそも鈍い性質なので気付けないかもしれません。でも、過去のことはどこかで水に流しましょうよ。それが、新しく来る人にとっても居心地の良い教会を創るということに繋がりますよ。捨てきれない思いは吐き出してください。そして一緒に祈りましょう。牧師はそのために遣わされています。それが教会の業だからです。
祈りと赦しと寛容さによって、私たちは福音を、御言葉を前進させるのです。