2021年8月8日
使徒言行録 20:17-35
「パウロの残した思い」
パウロはその生涯で3回にわたって伝道旅行をしました。三回目の伝道旅行においてはエフェソを根拠地として小アジアで福音を説いて回りました。今、パウロはその3回目の伝道旅行の締め括りの道のりを歩んでいます。エルサレムに向かう途中、パウロはミレトスの港に上陸しました。ミレトスからエフェソは、概ね50キロほどで、2日程歩けば行くことのできる、比較的近い距離にある町でした。
親しくしていた人が近くに来るのに、自分たちの町にではなく少し離れた所に滞在するというのは、水臭さを覚えるものです。何か事情があるのでしょうか。
パウロの心中は複雑だったのだと思います。パウロは五旬祭までにはエルサレムに着いていたかったのですが、きっとエフェソに寄ると長居してしまって間に合わなくなるのではないかと考えたのです。
「それならそれで、先に事情を言ってくれれば引き止めたりはしない」というのが、エフェソの人々の気持ちだったでしょう。パウロもそれは理解できていたはずです。それでも、敢えてエフェソに寄らなかったのは、別れが辛くなるからです。
パウロはエルサレムでどのようなことが待ち受けているのかということについて予想が出来ていました。これまでの旅でも、ユダヤ人はことあるごとにパウロを妨害し、時には官憲に訴えて捉え、投獄するほどの敵意をパウロに向けていました。エルサレムに行くということは、ユダヤ人の悪意の真ん中に飛び込むということです。たちまち捉えられ、獄に繋がれ、厳しい取り調べと処罰が待っている。おそらく生きて再びエフェソの人々に会う事は出来なくなるだろうと予想していました。
かつて3年もの月日を共に熱心に伝道した人々の住むエフェソに、そのような心の状態で立ち寄れば、必ず一人ひとりと親しく話をしたくなる、してしまう。どうしても滞在が長くなる。パウロとしてはエフェソの人々に会いたかったでしょう。しかし旅を急がなければならない。そう思ったから、パウロはミレトスの町に入り、エフェソの教会の主だった人々だけを呼び寄せたのだと思います。
集まったエフェソの長老たちにパウロは、エフェソでの日々を振り返って思い起こさせます。自分とエフェソの人々がどのように伝道していたか、どのような苦労があったかを思い出し、過ぎ去った日々の時を共有します。
パウロにとって伝道旅行は常に逆風の中を歩むような旅でした。エフェソでも同様で、地域の人々の理解を得られず、それどころか「パウロはアルテミスの神殿をないがしろにしている」と、危うくリンチされるところでした。ことにユダヤ人たちとの対立は顕著で、彼らはことあるごとに激しくパウロを妨害しました。
それでもパウロは福音を語るということ、イエスさまの教えを伝えるということを諦めませんでした。人々の救いに必要なことは余さず語り続けました。謙遜な心と情熱によってパウロはキリストを証しし続けたのです。その原動力は、自分自身がイエスさまによって救われたという経験であったことは、想像に難くありません。
自分が救われたから、その喜びを伝える。キリストの救いの確かさを、今まさに救いを必要としている人々に伝える。これこそパウロに与えられた使命だったのです。そして今、自分が居なくなった後、どうか教会を、そこに集う人々を守って欲しいと言い残します。これはエフェソの人々のために出来る最後の事としてパウロの語った訣別の説教です。
ここに集められている人々は教会を監督する長老として選ばれた人々でした。長老は聖霊の働きによって立てられます。今の教会で長老と言いますと、教会の役員に相当する人々のことを指しますが、当時の教会にあって長老は信仰の導きも担っていました。長老がその教会の信仰の中核を築き、守ると言えます。
パウロが捕えられた後、エフェソの教会の信仰を支えるのは、今日集められた長老たちです。パウロは近い将来に起こるであろうことを念頭に置いて、長老たちに助言をします。
ユダヤ人たちは、パウロというビッグネームを失ったエフェソの教会を自分たちの側に取り込もうとして教会に入り込んで来るだろう。その時、教会に集まる人々が惑わされないように気を配りなさい。また、あなたたち自身もそれらの人々の考えに傾くかもしれない。そうならないように、自分の信仰を確かなものにしなさい。もしも迷うことがあったら、一緒に過ごした3年間を思い出しなさい。あの日々にどのように過ごしていたかを思い出せば、それがあなた方の道標となるだろう。これからの教会を創るのはあなたたち自身なのだ。
パウロはエフェソの教会に三年間滞在し、マケドニア、ギリシアへと旅立ちました。そのパウロがエフェソの教会を通り過ぎようとしています。伝道者とはある意味で通り過ぎる者なのです。
牧師も同様です。牧師はその教会に定住する者ではありません。いつかは居なくなる者です。何かの使命を持って遣わされ、それを終えたら次の所に行く、言わば通り過ぎる者です。牧師は自分に委ねられたメッセージを伝え、また教会の未来の可能性を提示しますが、教会の未来を創る者にはなれません。牧師一人では教会の未来を創れません。では誰が教会の中核となり、教会の未来を創るのか。それは、皆さん自身です。牧師と皆さんとが手を取り合って教会の未来を創るのです。
「教会」という言葉は色々な捉え方のできる言葉ですが、今日は二つの捉え方に注目してみましょう。一つは「各個の教会」という捉え方。つまり秦野教会とか相武台教会とか、伊勢原教会という、それぞれの教会という捉え方です。
これらの教会に集う人々は、それぞれの教会が、建てられている地域においてどのようにすれば使命を果たすことができるかということについて祈り、考え、実行します。多分、色々な可能性を見出すことでしょう。それらのイメージと、自分たちに与えられているタラントとを照らし合わせて教会の目標ですとか大方針を決め、実行します。これが「各個の教会」の働きです。
そしてもう一つは「全体教会」という捉え方です。
ある教会は総合商社のように、色々な働きを担うでしょうし、また別のある教会は専門店のような働きを担うことになるでしょう。そうやって役割を分担して地域での伝道を行うのです。それらの教会同士の働きを繋ぐのが、例えば地区や教区、教団の働きです。
教区とか教団と言うと、どこか遠いところにあって、「組織」とか「事務局」みたいなイメージを持つ方も居られるかと思いますが、実は教区も教団も「教会」なのです。それは教憲において「教団は公同教会である」とか「教区は教会的機能を遂行する」という風に定められいるからというだけではありません。それぞれの教会がキリストを頭として集まって一つの体、一つの教会を造っているから、全体でも一つの教会なのです。
秦野教会も、全体教会を構成する一つの枝として、全体教会の信仰、伝道について責任を負っています。神学教育もその中の一つです。
神学教育は神学校の中でだけなされるものではありません。それは不可能です。もし仮に神学教育を学校で教わる学問にのみ限定したとすれば、出来上がるのは知識だけはたくさんあるけれども、教会への思いも愛も覚悟も無い参考書みたいな教師でしょう。
私も神学教育を受けて来ましたが、神学校で教わる学問よりもむしろ教会で教わったことの方が重かったと考えています。
神学的な考え方の基礎を神学校で学び、教会での実体験がそれに息を吹き込むのです。教会が神学生を、未来の牧師を育てるのです。秦野教会も、その責任を負っているのです。
14日から二日間、神学生が実習のために秦野教会に来ます。未来のパウロです。私たちが育てる未来の伝道者です。
神学生を良く見てください。そして神学生たちのために祈ってください。将来、皆さんと一緒に教会を創る人たちのために祈ってください。