聖霊降臨節第16主日礼拝説教

2021年9月5日

コリントの信徒への手紙Ⅰ 1:10-17

「思いをひとつに」

コリントの教会は分裂の危機にありました。教会内で分派が生まれ、それぞれに自分たちこそが正統であると主張し、他のグループを軽んじていました。何故このようなことになってしまったのでしょうか。

コリントの町には様々な出自を持つ人が住んで居ました。それはコリントがギリシャ地域の交通の要衝であったことが理由です。ギリシャという国は特徴的な形をしています。大雑把に言いますとヒョウタンのような形です。北半分はユーラシア大陸の一部ですが、南半分にあたるペロポネソス半島はコリントス地峡と呼ばれる、幅6キロほどしかない、極めて細い天然の橋で繋がった、ほとんど島のような形で地中海に突き出しています。

この極端な地形のため、北の大陸側と南の半島側を行き来しようとする者は、必ずコリントの町を通らなければいけません。

コリントを通るのは、南北の行き来をする者だけではありません。東西の行き来をする者、つまり船でアジアとイタリアの間を行き来する者にとっては、わざわざペロポネソス半島を、遭難のリスクまで犯してグルっと大回りするよりは、小さい船であれば船そのものを陸に上げて、ソリのように引っ張って逆側の海に出たほうが、リスクが少なかったのです。

大きな船を使う荷主にとっても、いったん荷物を陸に揚げて、逆側で別の船を仕立てた方がリスクは少なかったのです。つまり、東西南北、どの向きに移動する者にも、コリントの町は交通の要衝だったのです。

紀元前146年、このコリントの町に破滅が訪れました。この年、コリントはローマと戦争をしました。この結果、負けたコリントの住民は一人残らず奴隷とされ、町の建物は徹底的に破壊されてしまいました。繁栄を誇っていたコリントは廃墟となり、ごくごく僅かな人が住むだけの土地になってしまいました。

しかし、このコリントが交通にとって大変重要な土地であるということには変わりはありません。やはりここには都市が必要だと考えたローマは、紀元前44年、コリントの町を再建します。

再建されたコリントの町には、様々な人々が入ってきました。兵役を終え、自分達が経営する土地としてコリントを与えられた退役軍人、自分の身分を買い戻すことに成功した解放奴隷、なんらかの事情で自分の生まれた土地に居られなくなった逃亡者、そしてユダヤ人もコリントの町には住んでいました。

様々な背景を持つ人たちが集まって作られた町ですので、物事の捉え方や価値観についても色々な考え方の人が居るということは当然のことだったのでしょう。コリントの町の雰囲気を今風に言うならば、多様性を持った町だと言えるでしょう。その事自体は悪くないどころか、とても素晴らしいことであると思います。

このコリントの町を、パウロは伝道のために訪れました。最初は協力者の家で、その人と一緒にテントを作って生活の糧を得ながらの伝道でした。ユダヤ人からは口汚く罵られ、反発されたりもしましたが、何人かの受洗者が与えられ、集会が形成されるようになりました。

およそ1年半の間、コリントで伝道をしたのち、パウロはここを去ります。コリントの教会の運営は、残されたコリントのキリスト者たちの手に委ねられます。

それから数年の後、パウロはコリントの信徒から手紙を受け取ります。いくつかの事柄がそこには記されていましたが、そこには決して軽視できない、大きな問題が生じていることが書かれていました。なんと、コリントの教会の中に派閥が出来て、いがみあっているというのです。

パウロがこの手紙を書いた、最も大きな目的は、コリントの教会の中に生じた分裂を何とか治めることでした。コリントの町には実に様々な人々が集まっていましたから、おそらく教会にも、色々な人々、それぞれに異なる文化や生活の背景を持っている人たちが居て、一緒に礼拝を守っていたのでしょう。しかし今や、その人々が分裂を始めてしまったというのです。

パウロはまず「兄弟たちよ」と呼び掛けます。手紙の冒頭から一貫して、自分自身をも含めたすべてのキリスト者と同じ立場にある、信仰の兄弟たちへ…あなたと共に、一緒に、神さまによってイエス様との交わりに招き入れられた兄弟である私から…という、極めて柔和な姿勢で語りかけます。そして主イエスが私たち全てに求めておられることを行ないなさいと、改めてコリントの人々に強く勧めるのです。

みんなが同じことを語りなさい。あなた方の間に裂け目が有ってはならない。心の一致と思いの一致によって完全なものとしていただきなさい。

これは10節をギリシャ語の原典から私が個人的に訳したものですので、少しぎこちない文章だと思います。新共同訳聖書では「みな勝手なことを言わず」と訳されている部分を、私は「みんなが同じことを語りなさい」と訳しましたが、これは直訳です。新共同訳の文章は意訳だと思います。

自分で訳しておいてこんなことを言うのは何ですが、私などは「みんなが同じことを言う」などと言いますと、「思想統制でもされているのか、危ないんじゃないか」などと恐ろしくなってしまうのですが、ここで言っているのは、もちろんそういうことではありません。「一番大切なところでは、みんなが一致できるはずだ。それこそが私たちの信仰の核なのだから、皆が強く結び合って、その一番大切なことを絶えず語りなさい」と、そういうことを言っているのです。そのため、私はむしろ、「同じことを語りなさい」と訳したほうが、伝わるのではないかと思います。

11節では、あなたたちが仲たがいをしていることを、クロエの家の人が知らせてくれたと、パウロがこの手紙を書いた理由が書かれています。その仲たがいとは、どのような物だったのでしょうか。

教会に集まる者たちが、いくつかのグループを作って、それぞれに「私はパウロに」「私はアポロに」などと言い合っていると言うのです。ここで最も皮肉なのは、「私たちはキリストに」という人々の存在です。彼らは本当にキリストに付いている人たちだったのでしょうか。きっとそうではありません。もしそうならば、パウロが他のグループと並べて批判することは無かったはずです。

あくまでも私の想像ですが、この「キリスト派」の人たちは、あたかも自分達こそが正統であるとして、他の分派たちに対して超然とした姿勢で、はるかな高みから見下すような、そんな独善的な人々だったのではないでしょうか。自分の正しさを過信する人にはありがちなことだと思います。私自身、このことにはつくづく気を付けなければいけません。

さて、ここに至って、分派闘争を教会内に生じさせた人々に対するパウロの言葉の勢いは、極めて強いものとなります。

あなた方はキリストをバラバラに、八つ裂きにするつもりか。あなた方のために十字架に架かり、血を流し、命を捨てたのはパウロではないはずだ。まさかとは思うが、あなたがたはパウロの名によって洗礼を受けたのか。

今のは完全に私の意訳ですが、大きく外れてはいないはずです。パウロは自らを「語るのは下手」などと言っていますが、この啖呵の切り方は実に辛辣で、また強烈です。

14節から16節の内容を見ますと、パウロはごく少数の人たちにしか洗礼を授けていないということを繰り返しています。この様子はまるで、パウロの名を掲げるグループに対して「私はあなたたちに洗礼を授けた覚えは無い」と拒絶しているようにも見えます。

このことから、おそらくパウロ派を自称する人たちはパウロに無断でパウロの名を掲げているのだろうと推測できます。きっと他の派閥も似たようなものでしょう。確かにパウロとケファ、つまりペトロとの間には意見の相違がありましたが、コリントの教会の中に生じた派閥はパウロにもペトロにも無断で、無関係の所で代理戦争を始めてしまったのでしょう。

代表的な指導的立場に居る人々の中から、それぞれのグループが勝手に、自分たちの考えに近いと思う人の名を、それぞれ旗印として掲げたのです。パウロやアポロ、ケファの「名前」だけを旗印として担ぎ上げてしまったのです。

しかし、教会の業においては、それが誰によってなされたのかなどと言って人間の名前を担ぎ上げるということには意味がありません。いつ、如何なる時にあっても、高められるべきなのは神さまの聖名だからです。

14節でパウロは「クリスポとガイオ以外に、あなたがたの誰にも洗礼を授けなかったことを、わたしは神に感謝しています」述べていますが、パウロは自らを誇る恐れに陥る要因が無かったことを感謝すると同時に、あらゆる救い、あらゆる恵みは神さまによって与えられるのだということを教えています。

そしてパウロは自分がコリントに遣わされた理由を「洗礼を授けるためではなく、福音を告げ知らせるためだ」と述べています。教会に集う私たちが一致して告げ知らせるべきことこそ、この福音です。

「イエスさまが私たちを救ってくださった。」

このことこそ、私たち全てが声を揃えて語ることができる一つのことです。

ここに至る道はそれぞれに違います。同じ道を歩んできた人は誰一人としていないはずです。スタートも違えば途中の歩みも違う。その私たちが今ここに、一つの所に居る。ただ一つの事実が違う背景を持つ私たちを一つの所に集め、私たちに一つの思いを与えているのです。そして私たちは、同じように声を揃えて世に証言します。

「イエスさまはあなたの事を愛しておられる。」

宣教は受洗する人を増やすことが目的ではありません。もちろん洗礼を受ける人が与えられれば、その喜びはとても大きいのですが、必ずしも受洗する人が与えられなかったとしても、その人が負っている重荷を降ろすことができたならば、少しでも息を付けたならば、イエスさまの愛を感じ、信じてくれたならば、その時、私たちは与えられた使命を果たすことが出来たと言えます。

愛は私たちの理屈を超えています。愛されたということをどのようにして世に告げ知らせましょう。愛される喜びをどのようにして世に告げ知らせましょう。

愛されている私たちのありのままの姿を、怖じることなく、また恥じることなく見せる。分かち合い、赦し合い、支え合い、祈り合って生きる、そういう群れであるということを見せられれば、それが一番の宣教となるでしょう。

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