2022年1月23日
マルコによる福音書 1:21-28
「権威ある教え」
私たち人間は、心の交わりが無くては生きていけません。今日、イエスさまはカファルナウムの町で聖書から御言葉を、つまり説教を語られました。聞いた人々はその内容に大変驚きました。それまでに聞いたことの無いほどにそれを語る方の気持ち、イエスさまの御心が伝わる内容だったからです。今日、カファルナウムの会堂に愛が訪れました。
普段、彼らに聖書の御言葉を取り次いでいたのは律法学者たちでした。律法学者たちが語っていた説教と、一体何が違っていたのでしょうか。
毎週、安息日になるとユダヤの人々は会堂に集まって礼拝をささげていました。この当時、町々の会堂では、聖書の朗読と解説、そして祈りがささげられ、それをもって礼拝は形作られていました。
これは今の私たちが守っている礼拝と似通った部分がありますが、違いもあります。それは聖書の解説に見ることができます。
ここで私は「説教」と言う言葉を使わず「解説」と言う言葉を使いました。これを聞いて皆さんは違和感を覚えられるでしょうか、それとも特に何もお感じにはならないでしょうか。
今日の礼拝で語られる説教とは、それを語る人を通して与えられる神さまからのメッセージです。そのメッセージは祈りによって与えられます。それに対して、当時の会堂で語られていたのは、文字通り解説です。つまり、当時の礼拝においては、律法のそれぞれの文章をどのように解釈して、どのように生活に適用するべきかということの説明がされていたのです。つまり、制度の説明です。
この時、解説を行う者は、自分が述べる内容について、「これは誰々という研究者によって正しい解釈であるということが証明されている」というような裏付けがなされていました。このやり方は、現代の学生や研究者が論文を書く時と同じやり方です。ですので、この当時の礼拝でなされていた「聖書の解説」は、今私たちが説教に対して持っているイメージとは違い、やはり規則の解説と言った方が相応しいでしょう。
少し話が脇道に逸れてしまいますが、礼拝堂の構造を日本語に訳した時に、このように訳すべきではなかったと感じさせられる言葉がいくつかあります。その代表例は、説教壇と、この一段高くなっているこの場所の名前です。
説教壇という呼び方には問題は無いと思うのですが、これを「講壇」と呼ぶ場合があります。また、この講壇という言葉の用いられ方は少し曖昧で、会衆席のある面から一段高くなったこの場所の事を講壇と呼ぶ場合もありますが、この言葉は大変な誤解を生むように感じています。
まず、説教は講釈や講義ではなく、聖書の教えを説く場なので、この台は講壇ではなく説教壇と呼ばれるべきです。そして、この高くなった段は、本来はサンクチュアリ、つまり聖域という名前を持った場所です。ここから先は「天の上」を視覚的に表す場なのです。この場所を「内陣」と呼ぶこともありますが、こちらの方が誤解を受けにくい名称であると思います。この内陣と言う言葉は、本来神社や寺で神体や本尊を安置してある本殿のことを指す言葉ですが、この言葉を借用した方が、意味は保たれるように思えるからです。
そんなことにこだわって、どんな意味があるのかと思われるかもしれませんが、この段をその教会がどう意識し、どう用いるかで、礼拝とは何か、また礼拝の中で執り行われる諸々のことを、その教会がどのように捕らえているのかが表現されているのです。
その一番分かりやすい例は、何と言っても聖餐卓の位置です。教会によっては聖餐卓がサンクチュアリの上に置かれていますが、これは「聖餐とは天上で行われる宴であり、この教会は聖餐式のたびにそれを先取りして、いつか天上であずかる宴に今あずかっている」という考えが現されています。
秦野教会では聖餐卓がサンクチュアリの下にありますが、これは「私たちの教会ではイエスさまと囲む食卓、交わりは私たちの生活の場にあると考えている。私たちは地上でみんなと一緒にイエスさまの食卓を囲むことを目指す」という決意の表れなのです。
話を本題に戻します。この当時の礼拝と私たちの礼拝には、もう一つ違いがあります。それは説き明かしを専らにする人物は居なかったということです。では誰が聖書の説き明かしをしていたのかと言いますと、会堂長によって指名された人が解説を行っていました。
つまり会堂長は「この人なら解説できる」と思う人に、その日の聖書の解説をさせていたわけです。だから、イエスさまが会堂に来られたのを見た会堂長は、ガリラヤを回り、教えを説いているこの人に今日の解説を頼もうと思ったのです。
イエスさまの御言葉は、普段律法学者たちから聞いている解説とは内容も、語り方も違いました。律法、つまり旧約聖書からの説き明かしであることは同じなのですが、「これこれの時には、これこれの条文を適用しなさい」とか「誰それがそう言っているから、この解釈は正しい」というような、制度の説明や何かを強いる内容ではなく、「まず愛を行うことを求めなさい。なぜならば、あなた自身が神さまから愛されているからである」という、人々の心に訴えかける内容であり、そこにイエスさまの信仰を見ることのできる内容だったからです。
イエスさまは、規則に定められた生き方の勧めではなく、人々の心にあった「愛したい、愛されたい」という願いを引き出すように語られたから、誰もが聞き入ったのです。そしてイエスさまには確信がありました。まずイエスさまが人々を愛していたからです。
「誰々がこう論じているから人を愛する」のではなく、イエスさまは人を愛さずには居られなかったのです。それを感じ取ったから、みんなが聞き入ったのです。誰それの言葉としてではなく、御自分の御心を語られた。これまで律法学者たちは他の研究者の権威を借りて律法の解説をしていましたが、イエスさまは御自身の御心を語られた。その御姿は、どんな権威者よりも権威がある者として、権威者自身として人々の目に映ったのです。
その時、汚れた霊に取りつかれた男が会堂に居ました。汚れた霊とは、自分が取りついている人を、例えば村や教会という、人が生きるために所属している群れ、共同体の外に放り出し、人との関りを絶たせたり、孤独感の中で自分自身を受け入れることすらできなくさせたりしてしまうような力のことです。
これまで会堂に集っていた人々、特に制度や規則を語る律法学者たちは、この人から悪霊を追い出すことができませんでした。当たり前ですよね。制度だの規則だのはあくまでも枠組みであって、血の通った人間の交流そのものではないからです。もちろん制度や規則も上手に使えば人の交流は生まれますし、そのために作られた制度や規則もあるのですが、制度や規則そのものには力はありません。それらは心ではないからです。
悪霊はイエスさまに対して「自分と関わりを持つな」と威嚇します。この人を孤独のままに置いておこうと足掻くわけです。それに対してイエスさまは短く「黙れ。この人から出ていけ」とお叱りになります。悪霊に「この人を人間同士の関係から孤立させるようなことを二度と言うな」と命じられた上で、その人を悪霊による支配から、神の民の交わりの中に、神さまの愛の中に取り戻されたのです。
御自身の御心を悪霊にぶつけ、悪霊を退けられたイエスさま。心をぶつけることで、孤独な人を御自身の民として取り戻されたイエスさま。私たちの教会は、イエスさまがなさったことを、この地上にあって再現することを目指しています。
教会も組織である以上、その運営に際しては一貫性を保つために規則や制度を通して運営される必要があります。しかし、それに先行して、心をもって人と向き合うこと、何よりも愛を行うということ、どのようにすれば愛を行えるのかということを求めるべきです。何をすれば、私たちの心を、愛を伝えることができるのかを求めて考え、実行すべきです。制度や規則は道具であって、主体は愛なのですから。
愛を行うためには、まず愛されているということが大切です。教会に集う者同士が互いを愛し合い、愛を分かち合い、そしてこの土地にあって周囲に愛を発信する。そのような教会を目指したいと思います。