降誕節第1主日礼拝説教

2022年12月25日

ルカによる福音書 2:1-20

「羊飼いへのお告げ」

2022年は世界にとって幸せな年であったとは言い難いものがありました。どうしても戦争の影が、遠くに住んでいる私たちの心にまでのしかかってくるのです。もちろん、一方的な攻撃を受けている人々が独立を保つために、文字通り必死の努力をしていることは敬意と賞賛に値すると思いますが、その努力とはすなわち流される血その物ですので、手放しで喜ぶわけにはいかないのです。

このような時にこそ、人々は神さまが正義を行われ、平和を実現してくださるよう願いますし、また期待もするわけですが、残念ながら未だ戦争は続いています。では神さまは地上で流されている血に無関心なのでしょうか。また逆に、戦場にある人々は神さまに絶望しているでしょうか。決してそんなことは無いと信じます。神さまは今の様子をご覧になり、心を痛めておいでだと思いますし、戦いの最中にある人々も神さまを求めていると思います。誰かが彼らに神さまの御言葉を宣べ伝える必要があるのです。

私たちは戦火がやむことを願って御言葉を宣べ伝えるのですが、ことここに至ってウクライナの人々に「戦うな」と言うのは無責任な言葉になってしまうでしょう。それはつまり「黙って殺されろ」という意味にしかならないからです。「お前の妻や子が殺されるのを黙って見て居ろ」という意味にしかならないからです。そのような言葉は立ちどころに拒否されるでしょうし、そのようなことを言う人間は拒絶されるでしょう。しかし、互いへの怒りに満ちた人々が我に返る、その瞬間のために福音は告げ知らせられなければならないのです。

自分たちが積み上げられた死体の上に立っていると気付いた時、必ず彼らは驚愕するはずです。その時、彼らを慰める言葉が必要なのです。「本当は戦いたくなかったよね。戦わなくて良いと誰かに言ってもらいたかったよね。もう戦わなくて良いんだよ。」と、誰かが語り掛けなければならないのです。

でも、それを誰が言えるでしょうか。暖かなところに居て、遠くから眺めていた人がのこのことやって来てそれを言ったとして、どれほど受け入れられるでしょう。同じ言葉であったとしても、遠いところに居た人よりかは、近くに居て、同じ光景を見た人から聞かされた方が、より心に響くのではないでしょうか。

実は私は神学生時代、予備自衛官として毎年訓練を受けていました。正直なところ、神学校はあまり良い顔をしてくれませんでしたが、実習教会は理解を示してくれました。訓練のためには年に一回主日礼拝を休まなければならなかったのですが、「有事の際に自衛官の側で福音を語る者が必要となるはずだ」と心情を説明したところ、長老会は訓練への参加を許可してくれました。

海上自衛隊の予備自衛官は全員が元自衛官です。退職した後はそれぞれに職業を持っているわけですが、興味深いことに退職後お坊さんになったという人物が居ました。彼はみんなからのリクエストに応えて説法を聞かせてくれたりしていました。

では私は何をしていたかと言いますと、自己紹介の際に「自分は神学生だ」と申しますと、「実は私はクリスチャンだ」という人が何人か居て、夜の自由時間に聖書研究会をするようになりました。そこには幹部も居ましたし、海士、つまり昔でいう所の兵卒にあたる人も居ましたが、夜のひと時をキリスト者の群れとして、同じく神さまを信じる者として過ごしていました。

神学校を卒業してからは、必ずしもすべての教会がそれを許してくれるとは思いませんので、訓練に参加しなくなりましたが、どのような場所、どのような状況であっても御言葉を求める人は居るのだということを証しする体験であったと思っています。

神さまは私たちが随分と遠くに離れていると感じられるようなところでも、御言葉を宣べ、人々を導かれます。

ユダヤの民は元来遊牧民でしたが、イエスさまのお生まれになった当時には既にユダヤは牧畜中心の社会ではありませんでした。昔ながらの生活を続けている羊飼いたちは昔のように尊ばれることはなく、むしろ社会の底辺で誰からも顧みられず、歯を食いしばって生きている人々でした。

では、幼子イエスさまが今眠って居られる飼い葉桶はどうでしょう。当時にあっては揺り籠の代わりに飼い葉桶が用いられる光景は良くあったと言いますが、やはり貧しい者の中でしか見られなかったはずです。神の子イエスさまの厩での誕生は、最も低いところに居る人々に光をもたらす出来事だったのです。そして、当時の社会の中で蔑まれた羊飼いたちにこそ、イエスさまの誕生は最初に知らされたのです。私たちが最も遠いと思っている人たちにこそ、福音は宣べ伝えられるのです。

私たちの主イエスはこの世で最も悲惨な状態に置かれている人々にこそ真っ先に救いをもたらす方なのです。

世の中には様々な伝道の道があります。ある人々には想像も出来ないようなやり方で神さまの御言葉を宣べ伝える人々が居ます。それは、その人だからこそ出来るやり方なのです。そして、私たちにも、私たちならではの伝道があります。どのような時代になったとしても、私たちは伝道を諦めません。

今朝のニュースでフィンランドに住むサンタクロースが発したメッセージを紹介していました。「嵐のような一年がクリスマスによって、より平和な方向へと変わることを願っています。今年届いた手紙のほとんどが、世界が落ち着くことを願うものだった。今こそ落ち着き、クリスマスの喜びを共に作ろう」と呼び掛けました。

私たちも同じように呼び掛けます。今、辛い思いをしている人々にこそイエスさまとの出会いがあるよう、平和が与えられるよう願って、祈りを捧げましょう。

説教目次へ