聖霊降臨節第6主日礼拝説教

2022年7月10日

使徒言行録 13:13-25

「耐える神」

先週、私たちはパウロがキプロス島で宣教した際の様子を見ました。キプロスでの宣教を終えたパウロ達一行は、パフォスから船に乗り、パンフィリア州、現在のトルコは小アジア南部にあるペルゲに上陸しました。ここでヨハネという人物がパウロ達一行から離れてエルサレムに帰ります。

このヨハネは使徒のヨハネではありません。ここで言うヨハネとは、バルナバの親戚であるマルコの別名です。ヨハネがこの旅を途中で断念した理由は定かではありませんが、後にパウロが第二次宣教旅行に出発する際に、ヨハネの同行をパウロが拒否する遠因となったことを考えると、何らかの意見の相違があったのかもしれません。

14節を見ますと、「パウロとバルナバは」と記されています。遡って4節には「バルナバとサウロは」と、記載される名前の順番が変わっていることに気付きます。ほんの些細なことかもしれませんが、旅のリーダーがバルナバからパウロに交代したと考えて良いでしょう。もしかするとヨハネが離脱した理由も、このあたりにあるのかもしれません。

それでも、パウロがローマの牢獄に囚われた時にはパウロはテモテに「マルコを連れて来るように」と手紙に書いていることを見ると、後には和解して、遠慮なく助けを求められるような関係となっています。

さて、パウロとバルナバはペルゲから北上し、ピシディア州のアンティオキアに到着しました。聖書の巻末にある地図の7番目をご覧いただくとお分かりいただけるのですが、聖書にはアンティオキアという地名が二つ出て来ます。一つは地図の右側、シリア地方にあるアンティオキア、もう一つは地図の左上にあるピシディアのアンティオキアです。今日、パウロが入ったのは、左上の方です。

このピシディアのアンティオキアは標高1100mの高原にあり、海岸地方からは登坂を延々と歩かなければたどり着けません。しかも、この道には盗賊と山賊が出ることで有名で、あまり好んで歩きたい道ではありませんでした。それでもパウロは苦労と危険を厭わず、アンティオキアにやってきました。

ここでもパウロ達は安息日になると会堂を訪れ、礼拝を守ります。聖書が朗読されると、会堂長たちがパウロ達にゲストスピーカーとして説教してくれるように願い出ます。これを受けてパウロはイスラエルの歴史を出エジプトの時代から紐解き、イエスさまを証しします。そこまで歴史を遡った理由は、人間の歴史には流れがあり、それはひとつの目標を目指していると示すためでした。

この時代の人々は、イエスさまの御生涯と死、御復活の中で示された神さまの愛の完成を認められませんでした。なぜでしょう。世界を自分中心に捕らえ、自分で据えた道を歩もうとしたからです。自分の求める結果以外を認めず、自分の歩きたい道以外を省みようとしなかったからです。

人々はイエスさまに自分勝手な英雄像を投影し、イエスさまがそれを否定なさると勝手にがっかりして「裏切られた」と騒ぎ、ついには十字架に付けてしまいました。

人間はどうしても自分を中心に物事を見たり考えたりしがちです。それは仕方のないことではあるのですが、視点を自分中心のそれだけに固定してしまうと、かえって自分自身の姿を見られなくなってしまいます。世界の中の自分や、他者との関りの中での自分、神さまと自分との関係を見られなくなってしまうのです。そして、それが苦しみの原因となるのです。

自分の在りようや自分のあるべき姿を見付けられなくなり、その結果、どのように生きれば良いのか分からなくなって苦しむのです。自分で据えた道を歩むつもりが、かえって迷子になって、彷徨い歩く羽目になってしまうのです。

かつて、イスラエルの民も荒れ野を彷徨い歩いた時代がありました。ただ、この時には神さま御自身が昼は雲の柱、夜は火の柱となって導かれました。荒れ野を彷徨う40年の間に、民は不平不満を訴え、時には神さまの怒りによって撃たれることもありましたが、神さまはこの民をお見捨てにはならず、共に歩み続け、ついには約束の地へと導き入れられました。この40年の間に民は従順を身に付けました。

民はこの従順を士師の時代までは保てました。士師はリーダーではありましたが、あくまでも神さまの御言葉を取り次ぐ役割でした。士師の時代には、神さまが王として民を治めていました。それが、預言者サムエルの時代になると民は人の王を求めるようになりました。これは度々攻めて来る外敵から民族を守るための選択だったのですが、結果としては王としての神さまを拒否する行為でした。何世代か王が交代すると、ついに民は堕落し、他の民族の神々を拝むようになってしまいます。それでも神さまは民を見捨てず、ついには御子を遣わされました。

王の時代が始まる前、人の王を戴くことは堕落への道であると神さまは警告なさいました。それでも王を求める民に、王制への移行を許された神さまは、ダビデに約束をなさいます。その約束は、サムエル記下の7章に見ることが出来ます。

「士師を立てた頃からの敵を私が全て退けて安らぎを与え、あなたの身から出る子孫がわたしの名のために家を建てる。」これらの約束は一見するとソロモンの時代に成就したように見えます。ダビデとその息子ソロモンの時代にユダヤ民族の王国は最盛期を迎え、経済的にも軍事的にも外交的にも大きな力を持ちました。外敵を恐れる必要は無くなりました。ソロモンはエルサレムに神殿を建築しました。しかし、それは本当の意味での神の御言葉の成就ではありませんでした。

士師を立てた頃からの敵とは、信仰、あるいは生き方を脅かす迷いであり誘惑だからです。わたしの名のための家とは神殿ではなく、あなた自身が神さまからのメッセージを、福音を心に収め、神さまを収めた神殿となること、神さまと共に生きることを意味しているからです。

イエスさまは御生涯と死、そして御復活によって神さまと人との間にあった隔てを取り除けてくださいました。わたしたちは神さまに近付けるようになりました。

「神さまはわたしたち全てを愛しておられる」

この一つのメッセージを心に刻み付けるだけでも、わたしたちは神さまの視点に近付けるはずです。もちろん、まったく同じように見ることはできませんが、少なくとも足枷を取り払い、それまでの自分とは違う世界の見方が出来るはずです。

「神さまはわたしたち全てを赦しておられる」

このメッセージを心に刻み付けるだけでも、私たちに互いを赦し合いたいという動機が生まれ、それまでとは違う人の見方が出来るはずです。

イエスさまを通じて神さまが私たちに伝えようとなさった教えは、神さまを愛し、自分を愛し、人を愛することです。相手が誰であるかに関わらず、私たちは他者との間に愛の関係を求め続けるべきです。憎しみを煽ったり、その人の不幸を喜んだり、誰かの苦しみを利用したり、人の命を奪ったりすることは私たちの歩むべき道ではありません。

考え方や世界観が違うからと言って、その人を貶め、破滅に追いやるのは間違いです。

歴史を通じて神さまは忍耐強くそれを教えようとしてこられました。たった一人の御子を死なせてまで、愛し合え、受け容れ合え、赦し合えと訴えてこられましたが、わたしたち人はそこに至っていません。わたしたちは相変わらず、揺れながら歩いています。それでもなお、神さまは忍耐して私たちを待っていてくださいます。私たちは神さまからのメッセージを心に収め、会う人会う人に伝えて歩くのです。

この道は険しい道だと思います。それでも神さまが共に歩んでくださいます。忍耐強く、諦めることなく歩んで参りましょう。

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