2022年7月17日
ガラテヤの信徒への手紙 5:2-11
「耐える神」
イエスさまはユダヤとガリラヤで教えを宣べ伝えられました。ですので、イエスさまの御言葉を直接に聞いていた人たちのほとんどがユダヤ人、つまりユダヤ教徒でした。イエスさまが昇天され、聖霊の時代が始まると、キリスト者たちは迫害を受け、ユダヤには居られなくなります。彼らはユダヤを脱出し、アンティオキアに避難します。活動の場を放棄して脱出したと聞きますと、活動そのものが縮小してしまったかのような印象を受けますが、実はこの脱出こそイエスさまの教えがユダヤ人のみならず異邦人にまで宣べ伝えられる転機となりました。
この時、異邦人に対して精力的に伝道した人々の中にパウロが居ました。元々パウロはキリスト者を迫害する側に立っていましたが、ダマスコへの旅の途中でイエスさまと出会い、洗礼を受けてキリスト者となりました。このパウロが誰よりも積極的に異邦人への伝道に従事しました。
パウロは三回の伝道旅行を経て、訪れた各地に教会の元となる集会を形成します。ところがここで論争が起こりました。最初期のキリスト者たちは自分たちの信仰をユダヤ教の一分派程度にしか考えていなかったので、ユダヤ教が定めている宗教儀礼を、何ら抵抗感を持たずに受けていましたが、異邦人キリスト者にとってそれらの宗教儀礼のうちいくつかに抵抗感を覚えたのです。その中で特に議論の対象となったのが割礼でした。
ユダヤ人キリスト者たちの中には、異邦人たちも割礼を受けて律法を守らなければ神の民とはなれないと主張する人たちが居ました。これに対してパウロは反論をします。ガラテヤの信徒への手紙の主題は、異邦人のキリスト教徒と律法の関係です。
この書物が書かれた当時、パウロは攻撃を受けていました。この攻撃がもし成功していれば、キリスト教はユダヤ教の一派に留まり、さらにはユダヤ人のためのもの、ユダヤ人のためだけのものとなっていたかもしれません。それどころかユダヤ教の多数派の中に埋もれて消えていった可能性すらあります。事実、キリストの教えが花開いたのは異邦人の間においてであって、ユダヤ人キリスト者はしばらくするとほとんど居なくなってしまいました。
パウロは異邦人のための使徒として知られています。パウロの周囲の人々もパウロ自身もそれを認めていました。しかし、パウロを攻撃した人々はパウロが使徒を名乗ることに意義を申し立てます。
確かに使徒言行録には使徒の定義として、「主イエスが私たちの間に行き来された期間中、すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に挙げられた日に至るまで、終始私たちと公同を共にした人たちの内の誰か一人」、すなわちイエスの直接の弟子であることと復活の証人であることを挙げていますが、パウロはこれを満たしていません。彼はイエスさまに直接会ってはいません。彼らの主張によるならばパウロに使徒を名乗る資格はありません。
これに対してパウロは、使徒職の根源は神さまからの召しによると主張しました。パウロはダマスコへの途上でイエスさまの御声を聞いています。そしてアナニヤを通して聖霊を注がれ、信仰者となりました。パウロもまたイエスさまと出会い、神さまとの関係に導き入れられた者だったのです。そんなパウロにとっては、定められた儀式や儀礼を盲目的に受けるべきだという主張は受け容れられなかったのです。
この議論は、救いがどのようにして得られるのかという問題に通じています。
そもそもパウロに敵対していた人たちにとって、ユダヤ人ではない者、つまり異邦人は全く無価値で、神の怒りに打ち砕かれるべき存在でしかありませんでした。そんな異邦人がキリストの救いにあずかるためには、まずその人をユダヤ人に似つかわしい者とすべきであると考えていました。彼らは割礼と律法の課題全体の実行によってそれがなされると主張していました。
しかしこれはキリストの福音とは明らかに相反した考えです。割礼をはじめとする律法の実行は人の行為です。人は自らの行為によって救われるでしょうか。もしそうであるならば、キリストの福音は全く力を失ってしまいます。十字架の血によらずに救いを得てしまうからです。
人は十字架の上の主を仰ぎ見、私たちの罪を負って死んでくださった主の愛の大きさを知り、またそれを信じて初めて救われるはずです。私たちの信仰の中心には十字架の上のイエスさまがあるべきです。律法の実行へのこだわりは、信仰の中心に自らの行為を置く考え方に等しいと言えます。
人はどうしても目に見える姿や行いによって善悪を判断しがちです。神さまは私たちが見るようには人をご覧になりません。主はダビデを選ばれた時、「心によってご覧になる」と仰いました。私たちの内の誰が、神さまに選ばれるに相応しい心を持っているでしょうか。
私たちは自分の姿を見失ってはいけません。私たちは、それに相応しくないのに恵みを受け、赦されている者なのです。それを忘れてはいけません。
律法の実行は自らにお墨付きを与える行為に他なりません。自らを正しい者と定める権能を人は与えられてはいません。十字架のイエスさまの足元に近付き自らの罪深さを知り、それでもなお赦しを与えるために血を流してくださったイエスさまに感謝をささげる。それこそが私たちには相応しいのです。罪深いままでありながら罪を赦され、罪深いままでありながら清められ、新しい命を与えられる。これこそ恵みであるはずです。この恵みをこそ、私たちは信仰の中心に据えるべきなのです。
洗礼は相応しくなかった者が相応しくないままで新しい命を与えられるという体験であり、聖餐はイエスさまが罪の赦しのために血を流してくださった出来事の再現なのです。
ガラテヤの人々には最初からこの恵みが宣べ伝えられていたはずでした。それなのに、ユダヤ人キリスト者たちはガラテヤの人々に律法、割礼を突き付けました。これは罪の赦し、罪からの解放が告げ知らされていた人々を敢えて罪との関係に引き戻す働きかけでした。せっかくイエスさまとの間に直接の関係を築けていたのに、回り道をさせ、形式的な関係に引き込む働きかけでした。
パウロはこの働きかけが持つ力をパンだねになぞらえて、警戒すべきであると説きます。ユダヤ人がパンだねを例として用いる時、たいていパンだねは悪い影響力を意味していました。
パンを焼くにあたって必要となるパンだね、つまりイーストは小麦全体の量に対しておよそ1パーセントほどです。たった1パーセントのパンだねが生地全体を膨らませるのですが、それほどの影響力が律法主義にはあると警告しています。
ガラテヤの教会に入り込んでいたパンだね、罪とは、人の行いによって人を裁こう、それも人が裁こうとする罪でした。
過越し祭の中で除酵祭が祝われます。これはイスラエルの民がエジプトを旅立った時と同様に発酵させないパンを食べ、エジプトにおける罪の状態、神さまから離れた生活、またこの罪の状態に引き戻そうとしたエジプト軍からの解放を思い起こすための祭りです。
除酵祭に先立ってユダヤの人々は家の中を掃除して、それまで使っていたパンだねを徹底的に取り除きます。そして祭りの期間中、パンだねを入れないパンを食べます。古いパンだねの除去は、罪からの解放の象徴です。
私たちもまた罪から解放された者として、古いパンだねを取り去りましょう。自分中心、人間中心の世界観を離れ、キリストの恵みと神さまの愛、聖霊の働きかけを中心に据えて世界を見ましょう。人の心までは見通せない私たちは、自分の目に映るその人の姿や世の中の在りようによって世を、人を裁くのではなく、全ての裁きを神さまにお委ねして、赦しを希い、赦されていることを喜びつつ毎日を歩みましょう。