2022年9月25日
コリントの信徒への手紙Ⅱ 9:6-15
「一つの福音」
パウロはコリントの教会に対してエルサレムの教会への献金を勧めています。パウロはコリントに対してだけではなく、マケドニアの教会にも同様の勧めをしていました。エルサレムの教会に献金すべき理由が何かあったのでしょうか。これまでも何度か、キリスト者を第一に迫害したのはユダヤ人であると申しました。ユダヤ人の多数派の目には、イエスさまの弟子たちの信仰は分派活動、それも極端に先鋭化した分派として映っていました。信仰の正統を曲げかねないこの分派をユダヤ人は危険視していたのです。
信仰的な違いは普段の生活においても交わりを避けさせる理由となりました。具体的な記録があるわけではありませんが、「あんな奴らに手を貸してやる必要は無い」ですとか、「あんな連中を雇うと俺たちまで祭司たちに睨まれるかもしれない。」「あいつらとの付き合いは面倒の元になる」などと言われ、ユダヤ人社会から疎外されていたのではないかと想像します。
交わりが絶えれば生活は困難になります。信仰の故にエルサレムの教会は貧しくなっていきました。これ以上爪弾きされたくない。これが当時のエルサレムに住むキリスト者にとっての願いだったでしょう。理解されないまでも、嫌われたくないから、彼らユダヤ人キリスト者たちは律法の定めを厳格に守りました。そうすることによって、「イエスさまを救い主だと信じているという点以外においては皆さんと変わらない、普通のユダヤ人なのです。」と世に訴えていたわけです。
不思議ですよね。イエスさまは人を苦しめる律法を批判なさいました。その弟子たちが身を守るために、かえって律法を厳格に守っていた。この辺りにユダヤ人キリスト者が姿を消していった理由があるのかもしれません。
パウロは、エルサレムの教会に対するコリントの教会による援助を、エルサレムの信徒たちへの励ましとしてだけではなく、両者が和解する切っ掛けとしたかったのだろうと考えます。ユダヤ人キリスト者と異邦人がキリスト者の間にも摩擦があったからです。
パウロは御存知の通り、地中海地方を旅して周り、異邦人にも積極的に伝道をしていました。伝道をする際に、異邦人がキリスト者となるにあたって、律法の遵守を求めるかどうかが問題となりました。律法には613もの定めがあり、これらを全て生活に取り込むということは、生活習慣がまるで変ってしまうという意味でもありました。生まれながらのユダヤ人ではない者にとって、律法は高い高い敷居でした。
律法を厳しく守らないと生活できないエルサレムのユダヤ人キリスト者と、キリスト者となるためには生活習慣を大きく変えなければならない異邦人キリスト者という対立軸が生まれてしまいました。
この対立軸は信仰生活の中心である礼拝にまで影響を及ぼしました。
当時のキリスト教会は、御言葉の取り次ぎを終えた後にみんなで囲む食事も含めて礼拝であると考えていました。外地の教会の食卓には、律法では禁止されている食材も並びます。外地のキリスト者たちは普段普通に食べているからです。しかしそれをユダヤ人キリスト者は食べられません。これでは礼拝を共に守れません。
パウロが地中海地方を回って得た実感として、彼は律法の遵守を異邦人に求めるのは難しいと考えていました。そこでパウロが出した答えは単純明快でした。「律法を土台とするのはやめよう。私たちにはイエスさまが居れば充分だ。イエスさまを信じているかどうか、それだけを土台として据えれば良いじゃないか。」これがパウロの答えでした。
しかしこれは、エルサレムの教会の人々にとっては危険な答えでした。「律法を無視して禁止されている食べ物を食べれば、ますます白い目で見られる。ただでさえ生活しづらくなっているのに、これ以上面倒を起こさないでくれ。」と言いたかったのではないでしょうか。「私たちの事情も理解してよ。」と。
そうするとペトロは両者の板挟みになっていた可能性があります。ガラテヤの信徒への手紙には「さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。」と記されている通り、ペトロは異邦人の前では異邦人と同じように振舞っていながら、ユダヤ人が来るとユダヤ人として振舞うという、一貫性の無い二重の振舞をしました。これは、両者の顔を立てるための苦肉の策だったのではないかと思います。
ペトロは空気を読もうとする人物であったの対して、パウロは空気など意に介さず、己の信念を貫ける人でした。パウロには自分の信念について根拠を示せるだけの知識もあれば論理を構築する能力もあり、またそれを主張する強さがあったからこそ、多少の非難などは無視して信念を貫けたのです。
しかし、それほど強いパウロもユダヤ人キリスト者の苦しみと、異邦人キリスト者との間にある軋轢を無視できませんでした。パウロは異邦人キリスト者に対し、エルサレムのキリスト者を助けて欲しいと願ったのです。
あなたたちは外地に居るがゆえに、かえって自由にイエスさまを信じられる。でも、エルサレムに居る人々はイエスさまを信じているために貧しくされ、苦しんでいるのだ。そんな彼らを助けてあげて欲しい。パウロはコリントの人々に切々と訴えるのです。
エルサレムの人々の目には外地の教会が好き勝手しているように見えていました。外地の教会にとってはエルサレムの人々が教条主義を振り回しているように見えました。もしここで外地の教会がエルサレムの人々を助けたならば、この両者の間にある隔てを取り除けるのではないかとパウロは考えたのです。
しかし、この援助は強制によってなされるべきではありません。「仕方が無い」ですとか、「なんであんな奴らのために」というような思いは伝わってしまいます。それではかえって反発を生じます。エルサレムの人々に「そんなんだったら助けてもらわなくて結構」と思わせてしまっては失敗なのです。どんなに良い事でも、いやいや行うのでは稔りを得られないのです。
だからパウロは、コリントの人々が喜んでエルサレムの人々を援助できるような配慮に満ちた言葉で勧めています。パウロは「あなたがたの熱意は多くの人々を奮い立たせた」と、コリントの人々の頑張りを認める言葉を添えています。でもパウロが認めたのは頑張りだけではありません。パウロはコリントの人々の心に産まれた喜びにも注目しています。
パウロは「惜しまず豊かに」と述べていますが、この言葉は意訳です。本来的には「褒める言葉、賛美、祝福、贈り物」という言葉です。
贈り物をする時、私は楽しんで選びます。それを受け取った人が喜んでくれると良いなと思いながら選びます。喜ぶ顔を想像しながら選びます。良いものを送りたいと思うから、私が良いと思えるもの、私が楽しめるものを送ります。自分にとってどうでも良いものや興味の無いものは贈りません。
まずコリントの人々自身が喜んで、楽しんで差し出したから、受け取った人々にとっても喜びにあふれた贈り物となったのです。贈る喜びがその人から発せられる祝福となるのです。全ての人が、私たち全てが、喜びによって祝福を世に伝えるのです。私たちが喜ぶ時、その喜びが祝福となり、種となって、人の心に蒔かれ、豊かな稔りをもたらすのです。
私がチェロを教わっていることは以前少しお話しました。先日、ちょっと嬉しいことがありました。讃美歌の91番をレッスンした際に、先生が伴奏をしてくれたんですが、「一緒に弾いていて楽しかった」と言ってくれたのです。そんな風に言われると、私も弾くのが楽しくなりますし、結果的に練習も頑張りますから少しは上手くなりますよね。
伝道も同じです。伝道は、眉間に皺を寄せたり、額に青筋を立てたりしてすべきことではないと思います。まず、キリスト者であることを喜び楽しみましょう。それが一番の伝道であろうと思います。
神さまは毎日私に良いものをくださいます。同じように、皆さんにも良いものをくださいますように。