2022年9月4日
使徒言行録 13:44-52
「追い出されて世界へ」
この日本にあってキリスト者は少数者です。もちろん、より多くの方々にイエスさまの愛をお伝えしたいと私たちは願っていますが、私たちの群れが社会の中に在って、特に日本において少数者であることを嘆く必要は無いと思います。少数者であるならば、世の力とは無縁で居られるからです。力を振るう立場に置かれないで済むからです。それは決して責任の放棄を意味するのではありません。少数者であればこそできる働きがあるはずです。ですから私たちは少数者である故に拗ねたり陳ねたりする必要はありません。
私たちの置かれている状況は、初代教会のそれと似通っているように思えます。ユダヤにあって、イエスさまを信じる者たちは当時の正統派であるユダヤ教徒たちから迫害されたためにユダヤを脱出せざるを得なくなりましたが、行った先々でイエスさまの教えを宣べ伝え、集会を形成していきます。この集会にはユダヤ人ではない人たちも多く集まりました。これらの人々が求めている言葉がイエスさまの教えの中にあったのでしょう。
現代と同じか、それ以上に当時の人々は世の不条理に翻弄されて生きていました。それは社会制度のもたらす不条理であったかもしれません。同じ人間でありながら、豊かな人々はひたすら豊かな生活をしている一方で、貧しい人々は家畜のような扱いを受ける不条理がありました。
あるいは自然の猛威であったかもしれません。どれほど注意深く生きたところで、ちょっとした理由で人はあっけなく命を落としてしまいます。雨が降らなければ飢え、雨が降り過ぎても飢えるという不条理。
病気もそうです。苦しみながら生きなければならなくなってしまうような病気もあれば、あっけなく死んでしまうような病気もあります。当時は病気の原因も分からなければ、治療法や予防法も発達していませんでしたので、わけも分からず苦しめられ、わけも分からず死んでしまうというのが実感としての命の在りようだったのだろうと思います。
そのような状況に置かれたならば、全てを諦めて生きるのが一番楽な選択でしょう。自分の置かれている立場で得られる快楽にのみ目を向けて生きる。苦しみについては、自分の苦しみも他人の苦しみにも関心を払わないで生きる。これが楽な生き方です。
しかし、諦めきれない人にとっては、問いを放置しておく方が苦痛です。生活の苦しみに加えて、「答えが得られない」という悩みが加わります。彼らは問います。何故このような世に生きなければならないのか。何故このように苦しみながら生きなければならないのか。当時、地中海沿岸で信じられていた宗教は、この問いには答えませんでした。ギリシャの神々も、ローマの神々も、この問いに答えませんでした。それどころか、まともに向き合おうとすらしませんでした。病も災害も貧しさも、神々の気まぐれでしかなかったのです。
私たちが信じている神さまはどうでしょう。牧師の私が申し上げるのも難しいのですが、答えその物と申しますか、誰もが納得できるような答えは与えられていません。ヨブのように、正しく生きようと心から努めている者にも苦しみは襲い掛かります。世の中は不条理です。
神さまは人の苦しみに無関心なのでしょうか。イエスさまは人々の苦しみに向き合われ、語り掛けられました。
「今、苦しんでいるあなたにこそ救いが約束されている。神さまはあなたをご覧になっている。あなたは愛されている。」
これはにわかには信じがたい言葉でした。豊かな人はこう思ったでしょう。「この貧しい連中が神に愛されている、後には救われるなどとは信じがたい。もし愛されているならば、もう少しはマシな生き方をしているはずだろう。」
貧しい人も自分のことながら同じように思ったかもしれません。しかしパウロは『見よ、侮る者よ、驚け。滅び去れ。わたしは、お前たちの時代に一つの事を行う。人が詳しく説明しても、お前たちにはとうてい信じられない事を。』と、神さまの御心は人間の想像力を超えて行われるのだと言います。
この言葉に希望を見出した人々は、次の安息日にも会堂に来て、同じように話して欲しいとパウロに頼みます。そして、次の安息日には多くの人々がパウロの言葉を聞くために会堂に集まりました。
この様子を見たユダヤ人たちは嫉妬し、口汚く罵ってパウロの説教を邪魔します。そこでパウロたちは反論しました。
最初にイエスさまの教えを聞いたのは誰だったでしょう。イエスさまが十字架に上げられた様子を実際に見たのは誰だったでしょう。十字架の上でイエスさまが仰ったことを聞いたのは誰だったでしょう。ユダヤ人たちこそ、イエスさまの一番近くに居たはずだ。だから、あなたたちユダヤ人こそ最初に救われるはずだった。それなのに、あなた方はイエスさまを拒絶した。果てには、イエスさまの御言葉を伝えようとする弟子たちをもユダヤの地から追いやったではないか。わたしたちが一所懸命に話しかけても、あなたたちは聞かない。私たちの言葉を聞いてくれるのは異邦人たちではないか。だから私たちは異邦人に語り掛けるのだ。
ユダヤ教と言うとユダヤ民族の信仰であって、ユダヤ人だけが神さまに選ばれた民族であると考えている閉鎖的な信仰であるというイメージがあるかもしれませんが、必ずしもそのイメージが正しいとは言い切れません。外国人や異民族であっても律法を受け容れるならばユダヤ教徒になることは可能です。
とは言え、これら異邦人ユダヤ教徒、改宗した異邦人の扱われ方は様々で、あまり歓迎しない人々、蔑む人々の方が多かったようです。
酷い話だと思いますよね。しかし、わたしたちキリスト者はこれを批判できません。ユダヤ教からキリスト教に改宗した人々への差別もひどいものがありました。中世以降、ヨーロッパではキリスト教が主流となりましたが、これと同時にユダヤ人への差別が当たり前のように行われるようになりました。ユダヤ人がキリスト教徒になるというケースもたくさんあったようですが、キリスト者になっても無条件に教会に受け入れられたわけではなく、「改宗ユダヤ人」という新しい枠組みに分類されていました。
ローマ皇帝コンスタンティヌスの時代にローマがキリスト教を公認し、これ以降教会はどんどん大きくなっていきましたが、この出来事は同時に教会と統治者の癒着という新たな問題を産む切っ掛けとなりました。
人間には救い難い愚かさがあるのだと思います。多数派になったり力を持ったりすると、途端に腐敗と差別を始めてしまうのです。
あるキリスト教主義学校に務める友人が話をしてくれたことを思い出します。この学校には牧師室があって、誰でも気軽に入って良いのだそうです。そのためにある種の子どもたちの溜まり場になっているそうなのですが、この子どもたちのほとんどが教室に居場所を見つけられない子どもなのだそうです。クラスになじめず、はじき出されてしまった子どもが牧師室に溜まっているのだそうです。
友人がこの子どもたちを怒ったことがありました。それは、牧師室に溜まっている者の中でいじめや仲間外れが始まったからです。子どもたちには直接的な言葉をぶつけなかったそうですが、わたしの前では「居場所が無くて逃げて来た人が、おなじように逃げて来た人の居場所を奪うなんて」と憤っていました。
アンティオキアに居たユダヤ人たちも同じでした。多神教の世界の中では少数派で「理解できない奴ら」と呼ばれていたユダヤ人たちがキリスト者を迫害し、挙句の果てには町の有力者たちの力まで借りてパウロたちを迫害し始めました。
パウロたちは反撃したでしょうか。パウロとバルナバはそっと町を去りました。イエスさまを信じる人たちが幾人かでも与えられれば、それで充分だったからです。
アンティオキアの町ではキリスト者は多数派になるほどには増えませんでした。それで良かったのだと思います。多数派になって少数派を苦しめるよりは、少数派として苦しむ方がマシだからです。どれほど罵られても、罵るよりはマシだからです。力を持たない方がわたしたちにとっては力になるのだと思います。弱い者である方が、わたしたちは強いのだと思います。わたしたち自身は強くある必要は無いのです。強い方は他に居られるのですから。
数という尺度で見るならば、この日本では私たちの立場は小さく、世に対する力も大きくありません。でも、それで良いのだと思います。小さな者だからこそ、居場所が無くてさまよう人の気持ちが分かるのですから。多数派に対しても少数派に対しても思いやりのある言葉で語り掛けられれば、それで充分、人の悪口を言わなければ、それで充分なのではないでしょうか。