2023年1月22日
ルカによる福音書 4:16-30
「御言葉は実現した」
荒れ野で悪魔からの誘惑を退けられたイエスさまは、聖霊に満たされてガリラヤに帰り、宣教を始められました。マルコやマタイでは宣教を始められるにあたり4人の漁師を弟子となさったと記されていますが、ルカはイエスさまがお育ちになったナザレに帰られた時の出来事を宣教の旅の最初に記しています。ナザレでイエスさまは聖書を解き明かされましたが、故郷の人々に拒絶され、そこを立ち去られました。この出来事は、イエスさまの宣教の本質を端的に示していると同時に、使徒言行録で何が起こったのか、福音とユダヤの民との関係をも語っています。つまり、この箇所は使徒言行録まで含めた、ルカの関心の中心であると言えます。
イエスさまは敬虔なユダヤ人として信仰生活を送っておられました。故郷で暮らしておられた時も、旅先においても、安息日には必ず会堂で礼拝を守っておられました。今日も、いつものように会堂に入り、礼拝を守られます。
当時のユダヤ人男性は誰でも礼拝で聖書朗読の奉仕に就くことが許されていました。ユダヤでは、聖書を全て暗唱でき、さらにはどこからでもいつでも説教できて初めて一人前の大人と認められるほどに宗教教育に重点が置かれていたので、大人の男性であれば誰にでも聖書朗読の奉仕が開かれていたのです。
当時の礼拝の順序は必ずしも明らかではありませんが、冒頭でいくつかの祈りが捧げられ、律法、つまりモーセ五書が読まれた後に預言書が読まれ、祈りが捧げられ、説教へと続いたと考えられています。これは今の私たちが守っている礼拝と近い形であると思います。
イエスさまが立ち上がられると係の者がイエスさまにイザヤ書を手渡しました。その巻物を広げると、ある個所がイエスさまの御目に留まります。それは58章に記されている「解放の預言」でした。
イエスさまがこの箇所に目を留められたのは偶然ではありません。事前に選んでおかれたわけでもありません。巻物を手にされた時、この箇所こそが、今日集まっている人々に語り掛けるのに相応しいと考えられたのです。
預言者イザヤは、かつてユダヤの民が異教の神々を拝むという罪に陥った時代に、悔い改めを訴えた人物です。
イザヤの時代、ユダヤの人々は豊かさと力を追い求めた結果、異教の神々を拝みました。豊かさと力は得られましたが、その故にかえって他の国との間に争いが絶えなくなってしまっていました。ユダヤの王たちは民から集めた富を用いて、ある王は砦を築き、ある王は大勢の兵士を集め、自らを守ろうとします。国全体が力に頼り、荒れ野の旅で先祖たちを守り続けてくださった神さまを忘れてしまいました。
もちろん王たちにも言い分があるとは思います。そうしないと国を守れないのだ。確かにそうだったのかもしれません。北方に起きたアッシリア帝国の存在はユダヤの人々を不安にさせました。「もしかしたら攻めて来るかもしれない」という不安に駆られ、エルサレムの人々は多くの犠牲や捧げものを聖所に持って来て神さまに捧げます。しかし、これは神さまの御心にかなう捧げものではありませんでした。
国を挙げて富を求め、こぞって偶像に仕えた結果、豊かさが人々に血を流させるようになってしまった。あれほど願い求めた豊かさによって人々は血を吸いだされるようになってしまった。いま捧げられる羊は、山羊は、人々の血にまみれている。そして全身から血を流す人々は手当も受けられず、ポツンと取り残されました。
自らを茨で縛り上げるような苦しみ、あるいは海水を飲み続けなければならなくなってしまった遭難者のような苦しみを味わいつつも、形骸化してしまった神さまとの関係にすがりつく。そのような人々に、イザヤは心からの立ち返りを訴えました。
残念ながらユダヤの人々はイザヤの声に耳を傾けなかったので、神さまはバビロニアを通してユダヤの人々を撃ち、エルサレムの人々はバビロンに連れ去られてしまいましたが、およそ50年の後、ついに解放される時が来ます。
イザヤはこの解放を、主の恵みの年、ヨベルの年になぞらえて語ります。
レビ記25章で神さまは7年ごとに安息の年を設けるようにお命じになりました。畑を耕さず、種を蒔かず、畑を休ませるのが安息の年です。人々は土地から自然に生えてきたものだけを食べて1年を過ごしました。さらには安息の年が7回めぐってきた年には、負債を追っている人を解放するため、すべての借金を棒引きにし、借金のかたとされていた土地は返還され、奴隷になっている人は奴隷状態から解放されました。
あらゆる罪が許され、生活が本来あるべき姿に戻る。そのようにイザヤが語った預言が、今まさにここで実現するとイエスさまは仰ったのです。
イエスさまの当時、ユダヤの人々は国の内外で起き続けた混乱のゆえに自尊心が踏みにじられ、その感情をどこに向ければ良いのか分からなくなっていました。当時、ユダヤを収めていた王家はエドム人という、ユダヤから見ると外国の人でした。外国人が大国ローマの力を借りてユダヤを統治しているのです。その根本的な原因は、ユダヤ人自身に自らを統治する能力が無かったからなのですが、誰もが自らに自立する力が無いことを率直に受け止められるわけではありません。
当時蔓延していた過度の律法主義は、民全体を視た時には自虐や自罰という代償行為であり、民の中での関係を視た時には律法を守れる立場の者がそうではないものを罰するという形の、他罰という代償行為だったのではないかと考えます。
もちろんイエスさまはそこまではおっしゃらなかっただろうと思います。ただ、がんじがらめになっている状態から解放される時が来たと宣言なさったのです。
これを聞いた人々は最初、とても驚きましたが、その恵み深さを誉めました。しかも、その言葉を、自分たちがよく知っている人物が語っているのです。
「この人はヨセフの子ではないか。」
イエスさまよりも年配の人にとっては、子ども時代も知っているあの男の子が、同年配の人にとっては一緒に遊んだあの子が、こんなにも優しさに満ちた、喜びと希望に満ちた言葉を語る。それは率直に驚きだったでしょう。
そしてこの言葉にはもう一つのニュアンスが混ざっていました。人はあまりにも身近に居る人が予想を超えるようなことを言ったり行ったりすると、それを受け入れられなくなってしまうのです。
イエスさまは故郷の人々が、今はただ驚いているが、すぐに御言葉を素直に聞かなくなるだろう、証拠が無ければ信じられないとばかりに印を求めるようになるだろうと指摘なさいました。
「医者よ、自分自身を癒せ」とは、医者の不適格さや藪医者の無能さを強調する趣旨で用いられたり、身近に居る人を優先的に助けるように要求する言葉として用いられたりと、様々な意味で用いられた諺です。ここでは「まず故郷を救え」という意味で用いられていますが、後にユダヤの人々は「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」と、十字架の上のイエスを嘲ります。
ここでイエスさまは、自分たちには救いが必要であることを自覚し、実際に救いを求めながらも「自分の望みの通りでなければ救いではない」とばかりに神の救いを拒絶するユダヤの人々の躓きを、故郷の人々の心に起きている葛藤を通して指摘しています。この葛藤は私たちの心にも起きています。
長年、私たちは悩んできました。私たちの信仰生活を、信仰生活の場をどのように守るべきなのか。何とかして大きく育てたいけれど、それができない。そんな風に悩みながらも努力を続けてきたのに、このコロナ禍です。私たちはがんじがらめになってしまいました。
追い詰められると心は自由を失います。自分にも他者にも厳しくなってしまったり、目の前に開かれている可能性に気付けないどころか、拒絶してしまったりします。ナザレの人々はイエスさまの指摘に怒り、イエスさまを町の外に追い出し、崖から突き落とそうとしました。するとイエスさまは、「最早関係ない」とばかりにナザレの人々の間を通り抜けられました。
立ち去られる前にイエスさまはユダヤの歴史から二つの出来事を語られました。エリヤとシドンのサレプタのやもめの物語もシリア人ナアマンの物語も列王記に記されている出来事です。サレプタのやもめもナアマンも外国人です。ルカは既に、ユダヤ人がイエスさまの血による赦しと解放を拒絶し、かえって異邦人が福音を受け入れるようになるだろうと予告しているのです。
苦しみや悩みでがんじがらめになっているときにこそ、それまでとは違う発想が必要となるのですが、それらを得たならば危機は飛躍へと姿を変えるのです。
私の目にこの教会は蛹であるように映っています。皆さんが望みさえすれば挑戦はできるはずです。もちろん成功するかしないかはやってみないと分かりません。何年かかっても結果が出ないかもしれません。それでも、挑戦しなければ何も起きません。無理はすべきではありません。しかし、できるはずのことまで「できない」と決めつけ、ただ途方に暮れているだけでは、私たちの間を何かが通り過ぎて、立ち去ってよそに行ってしまいます。
神学生時代に、ある同期と話し合った際、彼が言った言葉が心に突き刺さっています。彼は「私は教会を看取る働きをしようと思っている。これからは多くの教会が閉じていくはずだから。」と言いました。それは現実だと思います。そして、閉じるという選択、悩みながら、苦しみながら選ばざるを得ないその選択の裏にある思いもまた大切にされるべきだと思います。しかし、この教会にはまだ果たすべき責任が、担いうる役割があると思います。
今、多くの教会が岐路に立たされています。秦野教会も岐路に立っています。私は皆さんと共に、イエスさまの旅された道を歩みたいと願っています。