2023年11月26日
エレミヤ書 23:1-6
「真の王」
動乱の時代には色々なことを言う人が出てきます。そんな中で私たちは誰の言葉に耳を傾けるべきなのでしょうか。誰の言葉が正しく、誰の言葉を信じるべきだと、どのように判断できるのでしょう。エレミヤの時代にも、様々なことを言う人が居ました。そんな中にあって、エレミヤはブレることなく主を信じ続けました。だからこそ、エレミヤの残した預言は私たちにとって道しるべとなり得ると考えます。エレミヤはアナトトという町に住む祭司であるヒルキヤの子どもでした。彼の先祖にはアビアタルという人が居ますが、この人はソロモンによって追放されてアナトトに住むようになった人物です。なぜアビアタルが追放されたかと言いますと、ダビデ王の晩年に王の二人の息子たちが起こした後継者争いにおいて負けた方、アドニヤを応援していたからです。エレミヤの預言の中にはソロモンが建てた神殿が崩壊するという記述があるので、もしかすると彼は潜在的にソロモンの血統を否定していたのかもしれません。
ソロモンによって追放されたために、エレミヤの祖先たちはそれ以降の王からも距離を取っていました。それはエレミヤにとっては良かったのではないかと思います。もしも王宮に居たならば、エレミヤは言わば王の御用学者のような立場に置かれてしまい、神さまから預かった御言葉を自由に語れなかったかもしれないからです。
エレミヤの時代、ユダヤ民族は危機的状況に置かれていました。ダビデとソロモンの時代にはユダヤの諸部族は統一された一つの王国を形成していましたが、それ以降には北イスラエル王国と南ユダ王国に分かれて住むようになっていました。そして、これら二つの王国の更に北にはアッシリアという巨大な帝国が起こり、北イスラエル王国に圧力をかけるようになってきました。ついに紀元前722年に北イスラエル王国が滅亡すると、そこに住んでいた10の支族は、ある者はアッシリアに連れ去られ、別の者たちは散り散りに逃げてしまいました。残っていた人々もアッシリアの植民政策によって混血が進み、一つの民族としての体を保てなくなってしまいました。
北イスラエル王国がこのようになってしまう前からエレミヤは、ただ一人の神さま、12の部族をエジプトから導き出してくださった神さまのみを拝むべきだと警告していましたが、北イスラエルの民族は姿を消してしまいました。
それからも時代は激しく動き続けました。勃興してきたバビロン帝国によってアッシリアの首都ニネベが攻撃されると守り切れず、ニネベは陥落してしまいます。バビロン帝国の力は南ユダ王国にまで及びます。エレミヤはこのバビロンの力を肯定的に捉えていました。ネブカドネザルが新しい帝国を形成するのは、神さまの御心によってなされていることであり、単純な民族主義的立場からこれに反対しても意味は無いと考えたのです。バビロン帝国が確立して行く歴史の動きに逆らうよりも、むしろその先においてバビロン帝国が滅亡した後に起こる事態に対応しようとしました。
自分たちの民族の独立を脅かしかねない外国を否定せず、またこれに逆らわず、それよりもその次の時代について考えようとしたエレミヤの視線は、これを歴史として眺める私たちの視線よりも遠くを見ているように思えます。エレミヤがこのような視線を持てたのは、彼が人間の王を頂いていなかったからではないでしょうか。
エレミヤの当時にあって王と言えばヨシヤであったり、ヨアハズ、ヨヤキム、ヨヤキン、あるいはユダ王国最後の王であるゼデキヤであったりという、ソロモンの子孫たちでした。
ヨシヤはダビデ王家では信仰的に最も優れた王として描かれています。失われていた律法を再発見し、礼拝を正しい形に戻すという、いわば古代の宗教改革者です。しかし、彼以外の王はどうかと言いますと、ヨアハズもヨヤキム、ヨヤキンも「主の目に悪とされることをことどとく行った」と記録されており、ゼデキヤに至っては「ついに主は彼らを御前から捨てられた」と記されています。
しかしエレミヤにとっては、ソロモンの子孫は正統の王ではありません。そのために、彼は神さまをこそ真の王として頂けたのではないかと思います。この王はユダヤの民を悩ませません。踏みつけにしません。それどころか、悩み、苦しみ、あてもなく彷徨う民を導いて平安のうちへと迎え入れます。エレミヤは、この真の王だけを頂けたからこそ、世の出来事に左右されず、終始悔い改めを呼び掛け続けられたのだと思います。
実は、これと同じような構図がイエスさまの時代にもありました。西暦6年頃、つまりイエスさまが10歳くらいの時にユダヤでは内乱が立て続けに起きていました。ヘロデ大王の死後、その息子であるアルケラオスが父の跡を継いで王となるためにローマへと旅立ちました。ユダヤはローマの属国であったので、王位を継承するためにはローマによる承認を必要としていたからです。王位継承候補者が不在の時を狙って、3人の男たちがそれぞれに反乱を起こしたのです。
1人目はガリラヤのユダ。彼は自分こそ神さまに選ばれた者と称してガリラヤの人々を駆り立て、反乱を起こしました。彼は神による直接統治を目指していましたが、その目的を達成するために王家の兵器庫を襲い、武器を奪いました。ローマの駐屯軍や、これに協力するユダヤ人に対する攻撃を主張していました。
2人目はペレアのシモンです。彼はかつてヘロデ大王に奴隷として仕えていましたが、エリコの王宮など、王の邸宅を襲って略奪し、焼き払いました。彼はユダヤのいわゆるエリート層をローマの手下と見做して攻撃し、排除しようとしました。
3人目はユダヤの羊飼い、アスロンゲースです。この人は王の頭飾りを身に付けて王を自称しました。彼は為すべきことを討議する評議会を開きましたが、それは見せかけだったようで、実際には自分で全てを決めていました。つまり独裁者となったわけです。
この3人は、ダビデ王家の伝統を継承する形で王位に就こうとしていました。ユダは神さまの名を借りて、シモンはサムソンを思い起こさせるような自分の風貌を利用し、アスロンゲースは羊飼いという自分の職業について書かれた聖書の御言葉を利用して反乱を起こしました。しかし、彼らが起こした内乱はローマによって鎮圧され、その首謀者たちのうちユダは逃亡し、シモンは首を斬られ、アスロンゲースは十字架につけられて処刑されました。
このような社会の混乱が起きた後に、イエスさまは「ユダヤ人の王もなろうと目論見、ローマに挑戦しようとした」という濡れ衣を着せられて捕らえられたのです。人々を煽り立てた3人の記憶が残っている中で、彼らと同じように社会を混乱させようとしたという疑いを擦り付けられたのです。
もちろんイエスさまにはそのような狙いはありませんでした。イエスさまが望んで居られたのは、悩む者、苦しむ者たちが平安の内に至るために、正しく神さまを仰ぎ見、御言葉を求め、聞き従うことでした。イエスさまは神さまの聖名や民族の記憶、聖書の御言葉を利用しようとはせず、むしろ神さまの聖名のために、聖書の御言葉が成就されるためにご自身の命を差し出されました。そして、このイエスさまこそ正しくダビデの若枝、ダビデのひこばえだったのです。この方こそ、世の力によって散らされた群れを一つに集め、救われる真の王だったのです。
人の世には人間的な思いが渦巻いています。10人居れば10人それぞれの思惑があります。中には正義であるとか、その人の考える神さまの御心を振り回す人たちも居ます。私たちはそれらをよくよく吟味しなければならないと思います。エレミヤはユダヤ王家の思惑からも、大国の思惑からも自由で居られたからこそ、真の王の御姿を見失いませんでした。世の中が混乱している時代だからこそ、私たちはエレミヤの姿に学ぶ必要があります。声高に訴える人の思惑はどこにあるのか、その先に何が待っているのかを、よくよく考える必要があるのだと思います。私たちには、真の王を見出す目が必要なのです。
私たちが目指すのは平安です。主が王として統治される平安です。私たちが心から祈り求めるならば、肉の想いを取り除いて御言葉を聞くならば、真の王は御姿を示されるはずです。