待降節第3主日礼拝説教

2023年12月17日

マラキ書 3:19-24

「義の太陽」

昨日は随分と温かな一日でしたが、基本的に冬には夏と比べると気温は下がります。その理由は地球が太陽に対して傾いて回っているためです。降り注ぐ太陽の光に対して地面が垂直に近い時には、光のエネルギーをたくさん受け止められるので、気温が上がりますが、その逆に太陽の光に対して斜めに傾いている時には、あまり多くのエネルギーを受けられないため、気温は上がりません。皆さんもこの理屈を理科の授業で教わった記憶がおありだと思います。更に、傾きが大きい時期には太陽の光を受けられる時間も短くなってしまうので、冷えに拍車が掛かります。

来週はいよいよクリスマスですが、その少し前に冬至の日があります。概ね毎年12月21日か22日が冬至となります。今年は22日の金曜日ですね。この日は太陽の出ている時間が1年でも最も短くなる日です。この日を超えますと、日は伸びて行きます。先ほど申し上げた理屈で考えますと、この日を境にだんだん暖かくなっても良さそうなものですが、実際には寒さが一番厳しくなるのは1月から2月です。これは太陽から受けたエネルギーが地面や空気を温めるのに時間が掛かるからなのですが、それでも日が伸びて行きますと、最も寒くなる時期を前にして、私たちは寒い冬の次には温かな春が来るのだと予感します。

今日読まれました旧約聖書の箇所はマラキ書の最後の部分です。マラキ書は旧約聖書の最後の書物です。今日読まれた箇所は、私たちを新約聖書へと導く働きを持っています。「もうすぐイエスさまがお生まれになる」と教えているのです。もちろん「イエス」という名前は全く出て来てはいませんが、「義の太陽」という言葉で救い主イエスさまを表しています。

「義の太陽が昇る」という言葉には二つのメッセージが込められています。一つ目は、今まさに申し上げたように、「イエスさまがもうすぐお生まれになる」という知らせです。そして二つ目は「今は寒いかもしれないけれど、義の太陽が昇って私たちを温めてくれる」という知らせです。「これから先、まだ寒さは続くかもしれない。もしかすると更に寒くなるということもあるかもしれないけれど、必ず暖かい季節が来るのだ。神の御子、イエスさまが凍えている人を温めてくれるのだ。」という予感を「義の太陽」と言う言葉は与えてくれます。今日の聖書の御言葉は、希望の先駆けなのです。

さて、先駆けとして遣わされた人物がいました。洗礼者ヨハネです。ヨハネが荒野で悔い改めを呼び掛けた時、人々はこの人こそ救い主ではないかと思い、彼に尋ねました。この質問に対して彼は「私はメシアではない」と、明確に否定しました。ヨハネは自分を、救い主の到来に先駆けて「主の道をまっすぐにせよ」と呼び掛ける者であると考えていました。間もなく救い主が来られるから、その時に備えて正しく生きなさい、神さまから離れてしまっている者は神さまに立ち帰れ、正しくない生き方をしている者は正しい生き方へと道を修正せよと呼び掛けるのです。今、私たちがすがっている価値観を捨て、人間に本来与えられている価値観、神さまが与えてくださったはずの価値観を取り戻せと呼び掛けるのです。

マラキの時代もヨハネの時代も、人々は時代に振り回されて散々な目に遭っていました。マラキが預言した当時、ユダヤの民は虜として囚われていたバビロンから帰って来たものの、生活には何の保証もありませんでした。旱魃やイナゴの大量発生のために凶作が続きました。民を苦しめたのは自然の脅威だけではありませんでした。周辺の民族は彼らに敵意をもっており、常に圧力と妨害を加えていました。

そんな中にあって、民の中の資産家は富を増やす手段を選ばず、律法、つまり神さまの教えに背いてまで富を得ようとしていました。本来であればそれを戒めるべき立場にあるはずの祭司たちはそれを止めようともせず、むしろ助長すらしていました。マラキの時代とは、誰もが平気で神さまの教えを破るような時代だったのです。

ヨハネの時代はどうだったでしょうか。度重なる内戦で国内は疲弊していました。その上、ローマとパルティアという二つの大国に挟まれたユダヤは、ギリギリの外交努力によってやっと自治権を守っているような状態でした。そんな中で、神さまの教えを伝えるべき立場にある人々は、高い地位にある聖職者も民衆の中にある教師たちも、的外れな理屈を振り回して人々を悩ませるだけでした。そして、富む者と貧しい者の差があまりにも大きくなり、貧しい者はどれほど努力しても豊かにはなれない時代になっていました。

このような状況に、王ですら悩まされていたのではないかと私は考えています。後にヨハネはヘロデ・アンテパスによって斬首されますが、マルコによる福音書を読みますと、ヘロデはヨハネの正しさを求めて保護し、彼の言葉に喜んで耳を傾けていたとあります。

マラキの時代にもヨハネの時代にも、「このままではいけない」と考える人々が居たのです。預言者たち自身だけではなく、彼らの言葉に耳を傾けた人々は、窒息しそうな世の中にあって、何とかしたいと願っていたはずです。もっと生きやすい世を願っていたのです。そんな人々に対してマラキは「モーセの律法を思い起こせ」と呼び掛け、ヨハネは「苦役の時は満ち、その過ちは償われた…主の道をまっすぐにせよ」と呼び掛けました。正しい生き方を取り戻せ、正しく主を仰ぎ見、主の道を真っ直ぐに歩けと呼び掛けたのです。

太陽はいつの時代も変わらず天にあるのです。太陽が放つ光を受け取る者が真っ直ぐにそれを受け止めないから凍えてしまうのです。それも仕方が無い部分があるのは分かります。辛い出来事が続くと、真っ直ぐに物事を見られなくなってしまう、真っ直ぐに人の声を聞けなくなってしまう、真っ直ぐに心を受け止められなくなってしまうからです。でも、それではますます冷えていくばかりなのです。真っ直ぐに見ることが辛い、真っ直ぐに聞くことが辛い時だからこそ、真っ直ぐに生きるのが辛い時だからこそ、私たちは意識して真っ直ぐさを取り戻さなければならないのです。義の太陽はいつでも私たちの頭上に輝いています。義の太陽を見上げる時、私たちの心を凍えさせるものは全て取り去られ、イエスさまのぬくもりだけが私たちを包み込みます。神さまはそのように約束してくださいました。

今の時代は世を挙げて上も下も凍えているのではないでしょうか。そんな時代だからこそ、私たちは御降誕を心待ちにしています。寒さに先立って、あらゆるものに先立って与えられるイエスさまの恵みを待ち望みつつ、クリスマスまでの七日間、ちょうど一週間を過ごしましょう。

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