2023年5月14日
ルカによる福音書 7:1-10
「これほどの信仰」
ガリラヤ湖の北西に位置するカファルナウムの町はイエスさまの当時、今でいう税関の役割を果たす収税所があり、物流の中心地としてとても栄えていました。またローマ軍が駐屯する町でもありました。イエスさまはガリラヤで伝道するにあたって、このカファルナウムを根拠地として方々にお出掛けになりました。ガリラヤを巡り歩かれる中で、イエスさまは人々に教えを語られました。大勢の人々がユダヤ全土とエルサレムから、また遠く離れた海沿いの町々からもイエスさまの教えを聞くために集まるようになりました。イエスさまは「貧しい人々は幸いである」と語り始められました。マタイにおいては「山上の垂訓」あるいは「山上の説教」と呼ばれる教えです。それは、これまでの世界観をひっくり返すような教えでしたが、同時にとてもやさしい教えでもありました。
これらのことを語られたイエスさまはカファルナウムの町に入られました。カファルナウムはガリラヤ湖の北西にある町で、物流の中心地として栄えた町です。多くの人々が行き交う町で、今の税関に相当する収税所があり、ローマの軍団も駐屯していました。この町をイエスさまはガリラヤでの宣教に際して根拠地となさいました。イエスさまはカファルナウムから出掛けて方々で宣教し、またここでも宣教なさいました。
ある日イエスさまのもとに何人かの人々が訪れます。この人々は彼らが住む地域にあって信仰と生活とを指導する立場にある人たちでした。彼らは、あるローマの士官の部下が重い病気で死にかけているから助けてやってほしいと言いました。
彼らは自分たちの意志でイエスさまの所に来たわけではなく、ローマの士官に使いを頼まれて来たのですが、彼らはとても熱心にイエスさまにお願いをします。
「あの方はそうしていただくのに相応しい方です。」
どうしても私たちは当時のユダヤ人と、ユダヤに駐屯するローマ軍の兵士の間にはネガティブな感情があったという前提で関係を想像してしまいます。支配者と支配される者、外圧を加える者と踏み潰される者というようにです。しかし、この長老たちの口ぶりからは、そのようなネガティブな関係は微塵も見られません。彼らはローマの士官を「ユダヤ人を愛する者」と言い、その証拠として「自ら会堂を建ててくれた」と実例を挙げます。
士官と言っても百人隊長はローマ軍団における現場指揮官に過ぎません。ローマ軍団の中で果たしていた機能としては「ローマ軍団の要」とも言うべき役職ではありましたが、その身分は決して高いとは言えません。従って、私財を用いて建築物を寄進できるほどの経済力を持っていたとは考えられません。では、どのようにして彼は自分の駐屯する町の人々ために会堂を建てたのでしょうか。私は、彼は部下たちを指揮して、彼の率いる部隊を用いて会堂を建てたのではないかと推測します。
ローマ軍団と言えば戦闘力の高さよりもまず建築能力が評価されています。ローマと言えば「全ての道はローマに通ず」という諺を連想する方も多いと思いますが、ローマ軍団は自分たちが派遣された先で道を整備し、橋を架け、駐屯する建物を建設しました。高い建築能力を持つ彼らにとっては、会堂を建てることなど朝飯前だったはずです。
この百人隊長は、自分がユダヤの町で自分に与えられた任務を充分に果たすためには、ユダヤ人を理解し、住民が大切にしている律法を自分も尊重し、また部下たちにもそれを尊重するように教える必要があると考えたのだろうと想像します。
もちろん彼自身が実はユダヤ教の教えに共鳴していて、礼拝に参加する人であった、つまり使徒言行録の言うところの「神を畏れる者」であった可能性もありますが、単に彼が信仰するだけであれば部下たちから「あいつユダヤにかぶれやがった」と後ろ指をさされるだけでしょうし、彼の部下のためにわざわざイエスさまのところに出掛けて来ようと長老たちに思わせられるほどにまでは至らなかったと思います。
この百人隊長は、彼自身だけではなく、彼の率いる部隊まるごと地域に溶け込ませようとしたのです。ユダヤを理解し、尊重する自分と自分の率いる部隊の姿勢を町の人たちに示そうと、会堂を建てたのです。そしてそれは成功しました。長老たち自身が病気で苦しんでいる部下を何とかしてやりたいと願うようにまでなっています。
長老たちは百人隊長からの依頼を自らの願いとして、イエスさまに熱心に訴えます。「あの人は良い人なんです。あの人の部下たちも良い人ばかりなんです。その一人が病気で苦しんでいるんです。どうか助けてやってください。」
この願いを聞いたイエスさまは長老たちと一緒に百人隊長の家へと向かいます。しかし、途中まで来た時に別の人たちが使いとしてイエスさまのところに来ました。百人隊長の友人たちです。彼らは百人隊長の言葉をそのまま伝えます。「ご自身がおいでになるには及びません」
部下を何とかしてやりたい。そういえば方々で病を癒している人が居るらしい。この人に来てもらいたい。苦しむ部下の姿に追い詰められた百人隊長は願いを直接な言葉と行動にしたのでしょうが、願いを携えた長老たちが出掛けた後に「しまった、ユダヤの人たちは異邦人との交流を律法で禁じられているはずだ。このままでは迷惑をかけてしまう。」と思い至ったので、追加の使者を親しい人に頼んだのです。
友人たちの口上からは、イエスさまに対して遜る彼の姿勢がよく分かります。また、「おいでいただくのはあまりに恐れ多いので、どうかその場で病に対して御命じ頂きたい。」という言葉からは彼が既にイエスさまの権威を認めている様子も見て取れます。
さらに7節で見られる彼の言葉選びから、彼と部下たちとの心の交流が読み取れます。日本語では「僕」となっていますが、ここで使われている言葉は「うちの者」というような、家族的関係を思わせるような表現となっています。2節でルカは「部下」という言葉を使っていますが、こちらはどちらかというと公的な主従関係、上下関係を表現する言葉です。この百人隊長は部下との関係を、立場の上では確かに上司と部下の関係ではあるものの、それに止まらず心の交流を生むような関係として結んでいるのです。
百人隊長は二度にわたって使者を派遣していますが、この二度の派遣から、百人隊長と現地民であるユダヤ人との心の交流と、百人隊長と部下たちとの交流を垣間見ることができます。
二度目の使者から伝言を聞いたイエスさまは感心したと言うよりも驚きました。この記述は、福音書の中で唯一イエスさまが人間に対して驚かれるシーンです。
「すごいぞ、この人は。この人は神さまを認め、神さまから与えられた私の権威を認め、さらには私の教えを直接聞いたわけでもないのに理解し、実行しているではないか」
「この人は神さまの権威を認め、私を信じた。人と人との間に隔てを設けず、人を理解し、人を助けるために私を頼った。この人は神さまを愛し、私を信じ、人を愛して人に愛を行っているではないか。彼の姿は神さまに仕える者の姿だ。」
イエスさまが癒しのことばを発せられる様子をルカは記述していません。それは、癒しがこの場面の主題ではないからです。ここでの主題は信仰によって自ずと導き出される信仰者の姿勢、生きる姿です。
あらゆる隔てを乗り越える。イエスさまを信じる者には、それが可能なのです。立場の違いを乗り越えて心の交流を実現できるのです。自らの善意を惜しまず示し、相手の善意を理解し受け容れる。相手の善意を信じる。打算ではなく、真心から信じた時、私たちはそこに愛を実現できるのです。
昨日、私は神学生時代の先輩の結婚式に出席しました。その結婚式は、彼と彼の妻となる女性と、彼らを取り巻く仲間たちの協力で作り上げられた式でした。私は受付に立ちましたが、別の友人はスピーチを引き受けていました。その友人が言うには「あの男、めちゃくちゃなんだぜ。こないだ婚約者を連れて来たと思ったら突然『祝え』って言うんだ。で、スピーチをしろって言ったのが昨日だぜ。」
一般的には迷惑な依頼の仕方だと思います。でも彼を知る私たちは誰一人としてそれを迷惑だとは思いませんでした。それは、彼が私たちの善意を信じ切っていると知っているからです。そして彼もまた善意を何の躊躇も無く行う人物であると知っているからです。私自身彼に助けてもらったことがあります。私が入学した、まさにその時、学生寮に一人で荷物を運び込んでいた私を見るなり「手伝いますよ」と助けてくれる、そういう人なのです。
だから、私たちも彼が無茶な依頼をしたとしても不快を覚えないのです。隔てさえ無くなれば、ネガティブな感情は消えてしまう、そもそも発生しないのです。そして、その「隔てを無くせ」というのがイエスさまの教えなのです。
もちろんそれは人の心にいきなり土足で上がり込めという意味ではありません。少しずつでも信頼関係を築き、垣根を低くするような働きかけが私たちに求められているのです。私たちを取り巻く人々との間に、私たちは心の交流を願い求めます。それが神さまとその人々との交流を生むことを願い求めます。
イエスさまは私たちと神さまとの間にあった隔てを取り除いてくださいました。私たちとイエスさまとの間にも隔てなど存在しません。イエスさまは死すら乗り越えてくださいました。だから私たちはためらわず主に近付き、祈るのです。