2023年7月2日
使徒言行録 11:4-18
「私たちは皆証人です」
使徒言行録は教会の誕生と成長を描いた物語であると同時に、福音がユダヤから地中海世界全体にまで広がっていく過程の記録であるとも言えます。福音は最初、ユダヤ人に語られました。次に外国生まれのユダヤ人に語られると、彼らはそれぞれの生まれ故郷である町で宣べ伝え、ついには異邦人にまで伝わりました。今でこそ、私たちは全ての人に福音が宣べ伝えられるということについて、当たり前のように思っていますが、当時のユダヤ人たちにとって、それは驚くべきことでした。神さまの祝福はユダヤ人にしか与えられないと、ユダヤ人は考えていたからです。神さまとの間に契約を結んだのはユダヤ人だったからです。その契約のしるしとしてユダヤ人は律法を持っていました。彼らは律法に従って生きており、その証拠として割礼を受けていました。一方で、他の民族は律法を持たず、割礼も受けていませんでした。その故に、神さまは異民族の救いについて関心を持っておられないと、ユダヤの人々は考えていました。これはユダヤ人にとっては常識だったのです。だからこそ、ペトロが異邦人であるコルネリウスとその家族、友人たちに洗礼を授けたという知らせは、エルサレムの教会を驚かせました。それは、喜びを伴う驚きではありませんでした。むしろ、エルサレムの人々はペトロに対して疑惑を持ったのです。
ペトロがエルサレムに帰還すると、教会の人々はペトロを非難しました。割礼を受けていない人々との付き合いは避けるべきであると律法に定められているにも関わらずローマの兵士の自宅を訪れ、あまつさえ食卓を共に囲んだことは、敬虔なユダヤ人たちにとっては見過ごせない罪だったのです。
では、本当に律法は、つまり聖書は異邦人との交際を禁じていたのかと言いますと、私は相当に怪しいと考えています。なるほど、出エジプト記34章15節には「その土地の住民と契約を結ばないようにしなさい。彼らがその神々を求めて姦淫を行い、その神々にいけにえをささげるとき、あなたを招き、あなたはそのいけにえを食べるようになる。」とありますが、これは例えば異邦人との間に婚姻などの契約関係に入ると異教の神々の祭りや食事に招かれるようになり、なし崩し的に主なる神さまへの信仰が薄れたり失われてしまったりする危険がるために、警告としてこの一文が書き記されているのであって、この文章が異邦人との付き合いそのものを禁止しているとは考えにくいと思います。
その反対にイザヤ書56章には「主のもとに集って来た異邦人は『主は御自分の民とわたしを区別される』と言ってはならない」と明確に記されており、外国人を一律に穢れた者、福音の外に置かれた者と考え、付き合ってはならないとする考え方は極めてナンセンスであると言えます。
しかし、この時エルサレムの教会に集まっていた人々の多くは、使徒までもが外国人との付き合いに否定的な考えを持っていたために、ペトロを非難したのです。
この非難は一つの問いを生じさせます。つまり、キリスト者とは何者であるか、という問いです。この時ペトロを非難していたユダヤ人キリスト者たちの考えに従うならば、キリスト者とは「割礼を受けた上で洗礼を受けた者」であると定義付けられます。
ではイエスさま御自身はどのようにお考えでしょうか。使徒言行録を記したルカの記述からはそれを読み取れませんが、ルカ以前に記されているマルコとマタイを見ていますと、マルコでは「信じて洗礼を受ける者は救われる」とあり、マタイでは「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなた方に命じておいたことを全て守るように教えなさい」とあります。イエスさまは割礼について全く言及しておられません。ユダヤ人たちは「救いにあずかるためには割礼を受けなければならない」と考えていましたが、救い主であるイエスさま御自身は割礼を施せとは命じておられません。洗礼を受け、罪に対して死に、新たな命を受けるならば、その人は救われる。イエスさまは洗礼をこそ命じておられますが、割礼を求めてはおられません。
ペトロも以前には他の使徒やユダヤ人キリスト者たちと同じように、割礼を受けていない人々との付き合いは避けねばならないと考えていましたが、神さまはヤッファで幻を見せ、ペトロの心にあった隔ての壁を取り去ってくださいました。この幻は比喩でした。神さまがご自分の民として選ばれた者を人間が排除してはならないというメッセージを、食物規定を主題とした幻によってペトロに教え、さらにコルネリウスとその家族、友人たちに聖霊が降るという現実を通して神さまは誰をも排除されない、神さまは誰にも御手を伸ばされることを教えたのです。
聖書を読んでいると、ユダヤ人という人々は頭が固いという印象を持ってしまいます。ペトロもやはり頭の固い人物であると感じさせられますが、神さまはその固い頭を幻と実際の体験によって柔らかくされました。手厚い根回しによって、異邦人を受け容れられるようにペトロを作り変えられました。そしてまた、ペトロの証言を通してエルサレムの教会に集まっている人々をも作り変えようとしておられます。
ペトロの証言はドラマチックな物語ではありませんでした。ペトロは何の脚色もせず、「淡々と」と言って良いほどに、自分が見た光景、自分の身に起きた出来事、そしてコルネリウスから聞いた話を証言しました。さらには、その証言が噓偽りの無い事実であることを証明する者として、6人の同伴者を紹介します。もしもペトロがこの出来事を自分の手柄であるかのように語ろうとすれば、出来なくはなかったはずです。例えば先ほど申し上げたような、見落としてしまいがちな聖書的根拠を提示した上で自分の受けたメッセージを語って理解の土台を作り、その上でコルネリウスの家で語り、行った事柄をまるでドラマのように語ったならば、彼は人々の尊敬を勝ち得たかもしれません。また、それによってエルサレムの教会におけるイニシアチブを取れた可能性すらありますが、ペトロはそのようにはしませんでした。ただ、ペトロは聖霊の働きについて語り、またこの出来事を通してイエスさまの御言葉を思い起こさせたのです。
ペトロは「自分がこうしたい、こうなりたい」という思いや願いではなく、自分の正義でもなく、イエスさまの御言葉とそれが成就される様子を語り、「いったい誰が神さまの御業を止められようか」と問いかけたのです。その言葉には真実だけがありました。だからこそ、あるいはペトロ以上に頭の固い他の使徒たちやエルサレムのキリスト者たちもこの報告を真摯に受け止め、「それは確かに神さまの御業である。神さまは異邦人にも命に至る悔い改めをお与えになったのだ」と言って、神さまを賛美したのです。聖霊がコルネリウスの家に降り、命を与えてくださったことに気付き、認めたのです。
伝道も牧会も、一個人の力によってなされる働きではありません。そこには聖霊の働きが必要なのです。なされるべき働きを教会として受け止め、時には誰かを訪ね、また時には手紙を書くという取り組み方が必要なのだと思います。
ペトロは6人の同伴者、彼が何をし、何を言ったのかを証言できる人たちと共にコルネリウスの家を訪ねました。考えてみますと、パウロもバルナバやテモテ、シラス、プリスキラやアキラなどと共に宣教しました。伝道者には共に旅をし、共に戸を叩く誰かが必要なのです。
先月の役員会で、牧師による訪問が提案されました。正直なところ、私はそれまで行ったことの無い家やあったことの無い人を訪ねることに不安というか恐ろしさを覚えます。実は電話ですら怖いのです。それは、今の時代ならではの不安でもあります。相手がどのような人か分からない。そもそも訪ねても良いのかすら分からない。喜ばれるどころか、かえって不愉快にさせてしまうのではないかが不安、そのように思うのです。それでも、牧師による訪問はやはり教会としてなすべき伝道、牧会の業であると考えます。秦野教会に赴任してから今までそれが出来なかったことを私は悔やんでいます。出来るならば、これからは訪ねるべきお宅を皆さんに教えていただき、共に戸を叩いていただきたいと願います。そしてそこで、聖書の御言葉に共に耳を傾け、語るべきメッセージを語り、共に賛美と祈りを捧げたいと願います。