2023年7月23日
フィリピの信徒への手紙 4:1-3
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「二人の女性」
私たちは主イエスに救われた者として、主に仕えたいと願って集まり、教会という一つの体を形成しています。しかし、時として同じ願いを持ちながらも意見が食い違うという場面もあります。もちろん当人たちにとっても、そのような状態は苦しいわけですが、伝道者にとっても悩ましい事態なのです。フィリピの信徒への手紙は、いわゆる獄中書簡の一つです。パウロはどこかの牢獄からこの手紙をフィリピの教会に宛てて書き送りました。フィリピにはかつて、金や銀の鉱山があり、土地も豊かだったので大いに栄えました。ローマが勢力を増すと、退役した兵士たちのための植民都市として発展を遂げました。植民と言いますと収奪が行われたのではないかと心配になりますが、この時代の植民と近現代史において行われた植民とは、性質が全く違います。ローマ帝国による退役軍人の植民とは、いわば退役後の生活保障として、耕すべき土地を与えられた、つまり再就職の斡旋というような意味合いの施策でした。
フィリピは退役軍人たちの植民都市として発展しました。このため、ローマ帝国の特権都市としての栄誉、特権とも言える「イタリア権」を持っていました。この名誉を持つ都市に生まれた者には、自動的にローマ市民権を与えられました。ローマ市民権を持つ者には地租と人頭税が免除されるなどの経済的な特権が与えられており、その結果フィリピには他の都市と比べて住民間の貧富の差が見られませんでした。
この傾向は教会の中でも見られ、教会員の大部分が中産階級であったために、教会の内部に際立った社会的な差異、貧富の差が少なかったようです。その結果として、通常パウロは各地域の教会からの贈り物を辞退していましたが、フィリピからの贈り物については遠慮なく受け取っていました。獄中にあるパウロに、方々の教会が見舞いの品物を送ってきましたが、パウロはこれらの贈り物に感謝しつつも受け取りませんでしたが、フィリピの教会から送られてきた品物は受け取りました。それは、パウロが見舞いの品を受け取ったとしても、それによって教会の中の豊かな人が脚光を浴び、そうでない人がみじめな思いを強いられるというような心配がなかったためであろうと推測されます。
パウロがフィリピで宣教したのは、第二回の宣教旅行の時でした。ヨーロッパに上陸して初めての宣教をフィリピで行ったわけですが、この町で最初にパウロの伝える宣教を受け入れたのは、ユダヤ教への改宗者である女性、リディアでした。よく、「宣教の原動力として、多くの女性の力が存在した」と言われますが、フィリピにおける伝道でも女性の力は大きかったようです。フィリピの教会には指導的な働きをしていた二人の女性が居ました。エボディアとシンティケという女性です。パウロはこの二人の女性が、「福音のためにわたしと共に闘ってくれた」と、その働きを高く評価しています。ヨーロッパにおける伝道、つまりフィリピでの伝道は世界伝道の足掛かりとなりました。その大切な局面において、この二人の女性の働きはとても大きく、パウロは感謝すると共に、これからの働きにも期待していたことでしょう。
ところが、パウロが獄中にある時、彼女たちは対立しており、亀裂は修復しがたいほどになっていました。二人の熱心さのゆえに、意見が激しくぶつかったのかもしれません。パウロは心を痛めました。パウロにとっては自分自身がこの世から苦痛や恥辱を受けたとしても、それによってキリストの栄光が表され、十字架によって救われる者、キリストを信じる者が生まれたならば、それこそが喜びでした。そのような思いを持って福音を語っていたからこそ、フィリピの教会の人々のことも「私が愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち」と呼び掛けるほどに愛していたのです。それなのに、その愛する人々が、この二人の女性がキリストを愛するが故に衝突してしまう、仲違いしているという事態は耐え難い苦痛だったのです。
私自身にも経験があります。青春時代を送った教会でトラブルが起きている、教会内で対立が生じているという相談を受けたことがあります。そのような時、できればすぐにでも行って仲裁したくなります。内容によっては「あなたがたは!」と怒りたくなってしまう時もありますが、事情が深刻である時などは特に、どちらかに味方するのではなく、どちらからも話を聞き、どちらをも宥め、どちらをも慰めたくなります。しかし、私はあくまでも秦野教会の牧師であって、その教会の牧会者ではありませんから、問題への介入が許される立場ではありません。ただ祈るしか無いという状況に歯がゆさを覚える時もあります。パウロは使徒という立場から対立の当事者であるエボディアとシンティケに勧めの言葉を送りました。
パウロは怒ったりしませんでしたし、二人を「あなたたち」と、ひとくくりにして呼び掛けたりもしませんでした。「エボディア、私はあなたに勧める。そしてシンティケ、私はあなたにも勧める。」と、パウロは双方の名をそれぞれに呼び、一人ずつ勧めの言葉を語ります。この勧めがパウロの心から出た言葉であって、二人の関係の修復がパウロの切なる願いであるから、パウロはこのように、一人ひとりに諭すように語り掛けるのです。
「同じ思いを抱きなさい。」
これは、二人の間での一致を見出せという意味ではなく、イエスさまの御心を共通の基盤として、教会全体と一致しなさいという勧めです。また、そのために教会の側からもこの二人のための支えを願っています。3節では、フィリピの教会に居る誰かに対して「真実の協力者」と呼び掛けています。名前が記されていないので、これが誰なのかは私たちには分かりませんが、フィリピの教会の人々にはこの言葉だけで分かったのかもしれません。あるいは、ここで呼び掛けに用いられている「協力者」という言葉の語源が「共に軛に繋がれた者」であることを考えると、特定の誰かへの依頼ではなく「主イエスは私と共に軛に繋がれ、私の重荷を共に担ってくださっている」と感じているその人に対して、「あなたがた」であったり「あなたがたの誰か」と言うような呼び掛けではなく、「イエスさまと繋がっているあなたにお願いしたいのです」と訴えていると理解すべきなのかもしれません。
教会との一致とは何でしょうか。みんなが一斉に右向け右で同じ方向を見ることではありません。それぞれが、それぞれに語り掛けられる主の御言葉に気付き、耳を傾け、導きに従って救いを得る。歩む道のりの途中経過は違うかもしれないけれど、同じゴールを目指して支え合いつつ歩む。それこそが、教会の一致であろうと思います。今、残念ながらエボディアとシンティケの二人は一致できていませんが、二人とも命の書に名前を記されています。二人とも救いに与るべき人です。信仰の熱心さのゆえに衝突し、どちらかが、あるいは双方が傷付いている現状は、実にナンセンスとしか言いようがありません。パウロは続けて勧めています。
「主において喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。」
私たちは喜ぶべきなのです。互いを喜び、互いに満足し感謝をする。なによりも神さまに感謝し、祈りをささげる。それこそが、愛し合うべき者として引き合わされた私たち神の家族、主に祝福された家族のあるべき姿であり、このような生き方が出来ることこそが、私たちに与えられた特権なのです。互いを喜び、感謝しあう姿こそが、何よりも強い力をもって神の国を証するのです。